2011年度卒論演習(加藤ゼミ)履修者向け概要解説

※履修者はまずこの文書を熟読してください。卒論演習とはいえ、私は落とすときは容赦無しに落とします。何をしたら単位が貰えなくなるのかは、この文書に明記してあります。

1:出席について

 年度中の欠席日数が7回になった時点で、単位は絶対に出ません。何故ならば、本演習で習得すべき内容を学び終えたと見なすことが出来ないからです。時代は違いますが、私が学部4年生だった1993年次、同じゼミの4年生でゼミを3回以上休んだ者は居ませんでした。

2:提出物について

 提出物の締め切り破りは欠席と同様の扱いです。すなわち、欠席4回、提出物の締め切り破り3回で自動的に「また来年頑張れ」となります。内定があろうが、一切温情はかけません。

 単位は概ね以下のような目安で評価されます。怪我や病気による欠席もカウントされます。

欠席・締め切り破り無し:S

欠席・締め切り2回以内:A

欠席・締め切り3回または4回:B

欠席・締め切り5回または6回:C

欠席・締め切り7回以上:D

 ですから、就職活動の説明会だの面接だので休む場合、本当にその企業で働きたいのか、とにかく応募先の数を確保しておいて安心したいのかをよく考えてください。安易に「あと5回は休める」などという発想で休んでいると、風邪をひいたりパソコンが壊れたりといったアクシデントで失点が重なって単位が取れなかったなどということにもなりかねません。

 参考までに、私が担当する基礎演習では毎年2人か3人は締め切り破りや欠席で単位を落としています。

3:何故、厳しいルールを設けるのか

 理由は二つあります。

 一つは、皆さんに大学で学ぶべきことをきちんと学んでもらいたいからです。皆さんは1年次から3年次までの間に様々な講義や演習で学び、知識や技能を身に付けてきたはずです。それら全てを総合的に用いて、一つの作品を仕上げるのが卒論演習です。この演習を通して、バラバラで断片的でしかなかった知識や経験が一つの有機的なネットワークとなり、皆さんの身体の一部となります。これは、小手先の取り組みで実現することは不可能です。脳から脂汗を流して考えに考え、苦しみに苦しんで卒業論文を仕上げるという経験は、この先の人生で確実に役に立つ力を皆さんに与えてくれます。

 もう一つは、皆さんの人間としての可能性を広げたいからです。創造性は、制約がある状況でこそ大きく羽ばたくものです。この制約は、皆さんの力を引き出すためのツールだと思ってください。昨年度私は、皆さんより一つ下の学年の子たちを一年間専門演習で教え、その潜在能力の高さに何度も衝撃を受けました。これは難しいだろうという過酷なハードルを課すたびに彼らはそれを乗り越えて成長し、私が予想していなかったほどの逞しさを身に付け、驚くべき知性や創造性を開花させていきました。フィールド演習の選考レポートで、充分に良いものを書きながらもなお最後の最後まで手を入れ続ける姿も目にしました。
 一方、皆さんの卒論計画書を拝見した限りでは、まだ皆さんはそこまで厳しい試練を乗り越えてきたようには感じられません。特に気になるのが創造力の部分です。意外性のある発想が全くといって良いほど見あたらないのです。
 20年前の学生ならそれでも良かったでしょう。企業にはまだ、新入社員をイチからじっくり育てる余裕がありました。ですが、今は違います。東日本大震災による生産設備の被害、物流網の被害、安定した電源供給体制の喪失、原油の高騰、消費意欲の減退は、日本の経済にこれから大打撃を与えるはずです。当然、企業は採用する人材の質を徹底的に問うことになります。

 私見ですが、3.11は明治維新とか関東大震災、第二次世界大戦敗戦と同じくらいの精神的ショックを日本社会に与えたと思います。これに較べればバブル崩壊だの9.11だのリーマン・ショックだのは可愛いものです。福島原発事故による放射性物質の拡散の影響は深刻だけれども限定的であり、東京に確定的影響を及ぼすことは無いでしょう。そんなことよりも、世界で最も繁栄した大都市であるはずの東京が1年もの間、毎日やってくる計画停電とつきあい続けることになったという事実の方が、遙かに重大です。これまでのようにじゃぶじゃぶ電源を使うような文明はもう続けていけないという事実と、その端的な結果としての計画停電というものが既に私たちには突き付けられています。未来は不透明です。この先、日本社会がどう変化していくのか、私にもよくわかりません。

 そのような世界観の転倒状況下で、一緒に仕事をしたいと企業人が考える人材とはどんなものか? 答えは明白です。

・厳しい試練を乗り越えた経験の無い人材はいらない。

・創造性に欠ける人材はいらない。

・リスクをとって挑戦する気概の無い人材はいらない。

・深く掘り下げてものごとを考え、追求することが出来ない人材はいらない。

 私は皆さんが首尾よく来年の4月に就職するか、しないかということには全く興味がありません。私がこの演習を通して目指しているのは、仕事や社会活動を通して何百人、何千人、何万人もの見知らぬ他人に幸福を提供し、あるいは不幸を削減する力を持つ人間を育てることです。厳しい試練を乗り越え、豊かな創造性とリスクをとる勇気を持ち、深く掘り下げてものごとを考えられる人間になっていただくことです。何故ならば、皆さんがそのような力を身に付けることこそが、長い目で見れば皆さん自身とその周囲の人々の生存可能性を最大化させるはずだからです。