Koru and my students

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今日は写真文化論の4回目かな。

2週空きまして、前期ならゴールデンウィーク、後期ならこの秋休みで学生のやる気が一気に蒸発して出席率が下がるということは、日本の大学で教えたことのある方ならだいたいご存知かと思います。

弊社提供の講義でも、やはりまた1人脱落。とはいえ7人残ってますからね。いつも通りのペースですね。私の講義は周囲のペースに乗って生きたい人ではなく、飛び出して目立ちたい人を標準としてデザインしていますので、割合から見てもこういうことでしょう。

さて今日のテーマは「19世紀にいかにして写真がファイン・アートの世界に参入しようとしたか」。当然、反転型学習なのでそれぞれ事前に予習はしてきておりますが、予習はあくまでも予習で、教師による解題もやはり必須です。

最初の3分の1では19世紀の写真の中でカメラ目線のものとそうでないものがあるのは何故か、という、前回課題で学生から提出されたテーマから出発し、「まなざし gaze」概念の系譜をフッサールによる現象学の提唱からサルトルを経てフーコー、サイードに繋がる思潮を紹介しながら解説しました。

学生の後ろに立ってみせて、「どうよ? 俺に見られてると思うとめっちゃ落ち着かないことない?」と質問すると「背中がゾワゾワします」と即座に納得してくれたので、例のパノプティコンの図を描いてみせたら皆一斉に「ああ、あれか~~!!」

やっと思い出したか。

中盤は宿題として出しておいた課題「1850年の時点で写真はファイン・アートであったか」についてディスカッションと意見集約をさせ、終盤の3分の1はartes liberalesとartes mechanicaeの違いから各国での「王立アカデミー」設立に至る流れを説明した上で、realやroyal(勅許)すなわち王室による権威の付与がファイン・アートの制度化に大きな役割を果たしたことを、エルメスとヴィトンとシャネルの違いを例にして紹介しました。

そこまで行けば、レイランダーの1857年の作品のヴィクトリア女王による買い上げの意味も見えてくるわけですね。つまり1850年の時点ではまだ写真はファイン・アートではなかった。

ところでこのペンダント。

ニュージーランドのマオリの工芸品で、羊歯をモチーフとしています。「新しい生命の誕生・成長」という含意があるそうです。何年か前のゼミで私がいつも首から下げていたのを憶えている人は居ないと思いますが、今日の講義中、そのゼミに所属していた子から、子供が出来ましたというメッセージが飛んで来ました。

大学にこれかけて行くのは年単位で久しぶりでしたが、単なる偶然でしょう。でもその偶然を吉兆と思っておきます。