写真文化論、第2単元の2週目です。
前回、個人課題→グループワークという形で「良い写真の条件」について考えてきてもらいましたが、今日はそのアウトプットを出発点にして、様々な写真を見ながら、自分たちの理論がどこまで妥当なものかを検討する、というのが前半のプログラム。
出て来た写真はウィリアム・ヴァンディバート、ベッティーナ・ランス、アンリ・カルティエ=ブレッソン、リチャード・アヴェドン、ベルント&ベラ・ベッヒャー、ロベール・ドアノー、エリオット・アーウィット、サイトウマコト、Why Not Associates、ヘルムート・ニュートン、ウィリアム・エグルストン・・・・
さてその議論、片っ端から「この写真は、その理屈だと【良い写真】ということになるんだけど、良い写真だと思う?」「いやあ・・・あまり・・・」「でもこれ、写真史に残る名作って言われてるよ」「え」「オリジナルプリントがオークションに出たら一声500万、1000万だろうね。だから世間的には【良い写真】なんだけど」「う~む」というやりとりの連続。
そりゃそうですよ。だいたいそういう罠的な作品ばかり選んで持っていったんで。
そこから後半はウィトゲンシュタインの『美学講義』における「是認」概念を鍵にして、自分たちが写真を「アリだよね」とするときの言葉を幾つかリストアップし(好き、いいね、面白い、きれい、世間では評価が高いetc)、まずは「世間では評価が高い」とはどういうことかを精密に議論しました。
ここは面白かったですね~。私も敢えて明確な答えを用意しておかなかったので、何度も何度も「私もこの問いには今、答えを持っていません。皆さんに相談しています」「それはこういうこと?」「じゃあこの部分はこれで良いとする?」というように、問題を整理して問いを深めて、というプロセスを繰り返していきました。
理論社会学者がノート上でやるような理論の精緻化を、クラス全体で進めていくスタイルですね。これを使ったのは伊豆大島ゼミの時以来だな。でも、おかげで私一人で考えるより視野が広がったし、最後はちゃんと明解な理論を皆で創ることが出来ました。特にSNS上の画像buzzを社会学の言葉であれだけ深く分析して結論を出したというのは、大収穫だったと思います。
来週以降もしばらくはこのスタイルで参りますので、残った皆さん(現在9人)は来週も脳を暖めてから来て下さい。