PRO DEO ET PATRIA〈真理と世界のために〉

 今日で2009年度の基礎演習も終わりました。

 今年度の学生たちは自信作ですよ。個性や長所短所はそれぞれありますが、教える側としても今年度は手応えがあった。
 
 これまでも私が基礎演習で担当した学生たちはひと味違うと言われていましたし、今日も弁当を食べていたら2年次の専門演習を担当しておられる佐久間先生が通りがかって、「1年の時にあれだけ仕込んでおいてくれたら楽ですよ」とおっしゃっていました。去年、南山に連れて行ったOさんは佐久間先生の演習でも地力の違いを見せていたらしいです。

 嬉しいですよね~。大学の非常勤講師なんてはっきり言えば有給ボランティアなんですが、こういうことがあるから止められない。きっと、今年度の演習を履修した15人も、来年度にはそれぞれの演習で「こいつはデキる」と一目置かれることでしょう。

 本当は、もっともっと手をかけてあげたかったんですけどね。出来れば私の知識と経験の全てをそのまま渡してあげたい。それを使って、私が到達出来る所よりも先にある風景を見て欲しい。でも、半年12回の講義で出来ることはやり尽くしたと思います。彼らはまだおっとりしているけれども、この先に行って大きく花を咲かせるための下地づくりは出来た。後は、2年次以降で彼らを教える先生方の仕事です。

 でもね~。あと30分あれば。あと30分あれば、立教学院の校是と校祖ウィリアムズ司教についての話も出来たんだよなあ。

 立教学院の校是は「PRO DEO ET PATRIA」です。直訳すれば「神と祖国のために」ですが、現在の立教学院はこれを「真理と世界のために」と解釈しています。DEOを「神」から「真理」に、「PATRIA」を「祖国」から「全ての人類」に読み替えているわけですね。その立教学院を作ったウィリアムズ司教の座右の銘は「道を語って人を語らず」。自分語りは一切せずに、世の道理だけを語られたという方です。その死に際して、自分に関する資料の全てを処分されたというくらいの、自分語りを廃した方でした。

 「真理と世界のために」

 馬鹿馬鹿しいと思いますか? 私はそうは思いません。1970年代から30年ほど続いたポストモダン祭りが終わった後、各方面の論客がこぞって結論したのは「超越的なものの価値を見直そう」「他人のために働くことの価値を見直そう」でしたから。演習の最後に読んだテキストはちょうどポストモダン祭りの最中に書かれたものだったので、「たしかなものなんて失われた」「ここを目指せばいいという未来なんてもう見あたらない」「われわれの家郷は崩壊した」なんて書いてましたけど、ベイビー、そいつは違うね。大いなる勘違いってやつさ。

 人が生きていくこと、次の世代を育てることの価値は普遍だよね。だってポストモダン祭りをやっていた連中だって、自分が生きていくために大学教員のポストにしがみついたじゃないか。それを奪い合ったじゃないか。奴らは自分や自分の子供たちを「こんなもの虚構だよ」と言って殺すことなんて出来ないじゃないか。だろ?

 時間が足りなくて今年も言いそびれたんだけれど、良いかい、君たち。世の中に確かなものはちゃんとあるんだ。君たちが生きていくことの価値だ。君たちが次の世代を育てることの価値だ。君たちと君たちの子供たちが幸せに暮らせる未来を創ることの価値だ。たしかにヨーロッパとアメリカを真似していれば良い時代は終わったし、そういう意味での「未来」は消えた。でもな。それは、君らが君らの手に君らの運命を握ったってことでもあるんだ。君らがキャプテン・アンド・ナヴィゲーターだ。

 未来を創れ。君らが還るべき故郷と家を、君らの両手両足で護れ。そのために必要な力の全てを育ててあげる時間は無かったけれど、基礎の基礎だけはちゃんと造っておいたつもりだ。なによりも、俺たちは同じ言葉「PRO DEO ET PATRIA」のもとに集った同窓生だ。借金以外の相談ならいつだって聞くぜブラザーたち。シスターたち。