漂海民バジャウの物語

 今日は本の紹介です。

 久しぶりに漂海民の話。

 念のため。漂海民を採り上げた過去ログはこれです。

http://blogs.yahoo.co.jp/hokulea2006/223255.html

 ハリー・アルロ・ニモ(2001年)『漂海民バジャウの物語 : 人類学者が暮らしたフィリピン・スールー諸島』西重人訳、現代書館

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4768468004

 原著は1994年に出ていますが、文化人類学者である著者が1960年代にフィリピンのスールー海の漂海民たちのコミュニティで2年間のフィールド調査を行った経験をもとに書いた、自伝的小説です。著者が拠点にしたのはボンガオの町で、門田修さんが3ヶ月間くらしたシタンカイ島周辺よりはちょっとだけ北東の海域ですね。

 何故小説なのかと言えば、人物や場所が特定されないように、若干のモザイクを入れてあるからだそうです。こうやって、実際に見聞きしたものをボカして書くことは、人類学や社会学のフィールド調査をやる時には決して珍しくありませんが、著者はそこからさらにもう一歩進めて、著者が漂海民たちのコミュニティで経験した事件をより劇的に再構成し、漂海民を知らない私たちにも、著者が味わった衝撃が伝わるようにしているのでしょう。

 最初に結論から書いておくと、これは名著と言って良いと思います。

 私がこれまでに漂海民について読んだ邦書の中では傑出しています。
 
 訳文も(ごく希に乱れる箇所がありますけど)、全体として最上級の品質です。翻訳書にありがちな不自然で読みづらい日本語ではなく、それでいて、もとになった英語の文章が想像出来るくらいに、原著のテイストを残している。翻訳をされた西さんという方は南山大学の修士課程を出られているそうですが、学者翻訳(翻訳業界ではダメ翻訳の代名詞)のダメさを微塵も感じさせません。素晴らしい。

 物語は、一人の若い人類学者見習いがフィリピンの辺境にやって来る所から始まります。彼は大学院の博士課程で文化人類学を学んでいます。彼の博士論文のテーマはスールー海の漂海民、いわゆるバジャウです。しかし、彼には調査が出来るなんのあてもありません。バジャウの言葉さえ知らない。そこで彼は辛抱強くバジャウたちの海に出かけ、彼が無害な存在であること、彼が自分たちに興味を持っていることを伝えるわけです。子供たちにバジャウの言葉(サマ語)を教えて貰いながら、バジャウたちの手伝いをして、何週間もかけてバジャウたちのコミュニティに入り込んでいく。

 文化人類学や社会学では、こういったプロセスを「フィールド・エントリー」と言います。私にも経験がありますが(何故だ?)、フィールド調査では、この時期が一番苦しいんですよ。調査が成功するか失敗するかの分かれ道ですからね。最初に山場がある。著者はそんなフィールドワーカーの心の揺れを見事に描写しています。そして突然起こるバジャウの出産と産褥死。この事件に関わる事で、著者はバジャウのコミュニティに受け入れられていきます。

 その後も、バジャウのシャーマンの調査をして痛い目に遭う話、スールー海で活動する華人商人や修道女、あるいはカンサスからスールー海へと移民した白人男性の話など、様々な人間ドラマに絡めて、1960年代のスールー海の空気感を見事に描写するのです。

 沢山の生と死が、スールー海の上を通り過ぎていきます。しかし、全体の印象は極めて静謐で、血なまぐささや激しさというものはありません。おそらくそれが1960年代のスールー海だったのでしょう。

 しかし、物語の最後になって、この静けさは突如破られます。マニラの政府と戦うイスラム・ゲリラの英雄との出会いと、彼の戦死。嘆き悲しむバジャウの人々と、さらに憎悪を煽るように彼らを挑発する政府軍。暗雲立ちこめる中、著者はフィールド調査を終え、後ろ髪を引かれつつもスールー海を離れるのです。

 そして、物語は一気に1980年代に飛びます。

 著者がスールー海を去った直後、スールー海はマルコス政権とイスラム・ゲリラとの血で血を洗う内戦の舞台となりました。この戦いが一応の終結を見せた時期を見計らって、著者はスールー海を再訪します。しかしそこで著者が見たものは、ダイナマイト漁や海砂の採掘によって荒れ果てた海*1と、マニラ政府によるイスラム教徒の人権弾圧の惨状でした。著者のかつての知り合いも内戦の中で次々に命を落とし、あるいは難民となって、いずことも知れず去っていきました。

 著者は傷心のうちに帰国します。しかし同時にここで、著者が何故、人類学の論文ではなく、この本を書いたのかも明かされるのです。

 著者の親友でもあったイスラム・ゲリラの英雄は、政府軍との最後の戦いに赴く前に著者の所に立ち寄り、サマの子供たちのために使ってくれとありったけのお金を差し出して、著者にこう言います。

「人類学者に向けて書いた後に、直ぐこの向こう側にいる人々に向けて書かれてはいかがですか? 彼らにスールーについて話してみてください。彼らにアマックのような人間が本当のところどんなふうであったかを語ってください。彼らに何故我々が戦い、そして殺して奪わなければならないかを語ってください。」

 こう言い残して、彼は戦いに行き、政府軍に首を刎ねられてさらし首にされるのです。

 ここには、バジャウのイスラム・ゲリラにとっての「本当のこと」が鮮やかに描かれています。彼らは生きる為に戦わなければならない。そう思って戦っている。きっと政府軍にも別の「本当のこと」があるでしょうし、そういった(マクロ経済学者や数理社会学者に言わせれば)感傷を廃して見えてくる「本当のこと」もあるでしょう。

 吉岡さんが言うように、これらの「本当のこと」はお互いに矛盾するけれども、どれも本当のことです。一つだけの「本当のこと」なんてない。現場に行って体験しないとわからない「本当のこと」もあれば、離れた場所から見て初めてわかる「本当のこと」もある。感情を廃して客観的になることで伝えられる「本当のこと」もあり、逆に、ある主観が感じたままを見せることで伝わる「本当のこと」もある。そして、著者は文化人類学者という立場を越え、一人の人間として、学問的な記述では絶対に伝えられない「本当のこと」を伝える為に、この本を書いたのでしょう。

 焼け付くような日差し、息を呑むほどに美しい夕焼け、文化人類学者を定期的に襲う食あたり、自動小銃から香るガンオイルの匂い。銃創。そういった、学術論文ではノイズとして除去されてしまうなんやかや。
 
 しかし、こういったものもまた、私たちがスールー海に思いを馳せる上で、なにがしかの役割を果たすでしょう。そしてまた、写真に撮れば天国に見えるスールー海にも、環境破壊や貧困や人権弾圧や戦争は押し寄せてくる。スールー海で何が起こっているのかを世界が知る事は、時代に翻弄されながらも生き続けるしか無いバジャウの海に平穏が戻る為の、一つの力になりうるかもしれない。

 著者はそう考えて、この本を書いたわけです。

 私は、その覚悟、人間としてのフィールドに対する責任の取り方こそが、この本を漂海民本の中でも別格の存在にしているのだと思います。サバルタン研究のように「弱者になりかわって(なりすまして)正義を語る」文化人類学者でもなく、「学問は価値判断をしません」とヌカして、調査はするけど自分は中立だよ関係無いよと責任逃れをする文化人類学者でもない。文化人類学者もまた彼のフィールドの中の登場人物であり、彼に与えられた役柄は「右往左往する文化人類学者」である、という事から逃げない文化人類学者です。フィールドで右往左往しながら見てきたものを外部に伝えて、広く知って貰おうとしています。決して「結局、自分で体験して来ないとわからないんだよ(俺は実際に行ってきたからわかってるけどさあ)」なんてニヒルは言わない*2。

 私は彼に共感します。その「伝えよう」という意志に深く共感します。

 ぜひ、手にとって読んでみてください。

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  本ウェブログと同じくホクレア号に興味を持っておられる方が、やはりこの本について書かれた書評
http://www.ofuchi.net/modules/wordpress0/index.php?p=142

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*1 著者は、それでもこれからこの海に調査に来る文化人類学者にとっては、ここは楽園に見えるだろうと書いています。おそらく、門田修さんがバジャウのコミュニティに入ったのは、この少し後の時期なんでしょうね。

*2 私は「現場主義」を否定はしません。実はWaka Moanaの中の人はフィールドワーカーとして、航海カヌーとは全く別の分野で現場を歩き続けています。ですが、現場に全てがあって現場の外に真実は無いという考え方については、はっきり軽蔑しています。Waka Moanaの中の人は現場で何が起こっているのかを観察し、インタビューし、アンケートを採り、そこから得られた情報を、様々な事情で現場に入れない人たちに発信しています。その時、Waka Moanaの中の人は、自分が発信した情報をもとに、自分が気づいていなかった別の真実を誰かが見つけだしてくれる事を期待しています。生の情報には生の情報にしか伝えられない価値があり、解釈された情報には解釈された情報の価値があるのです。