海の文化史

 今日は本の紹介。

 後藤明(1996)『海の文化史:ソロモン諸島のラグーン世界』未来社

 後藤さんは東大の修士課程を出られた後にハワイ大に留学されて、そこで考古学、文化人類学、言語学を学んでPh.D.を取得されたという方なのですが、ハワイで師事されたのがかの篠遠喜彦先生やパトリック・ヴィントン・カーチ先生(いずれもポリネシアの考古学の大家)。あるいはベン・フィニー先生(ポリネシア航海協会創設者の一人、文化人類学者)という、錚々たるメンバーです。

 それで、後藤さんはご自身では「考古学と文化人類学の境界領域をやっている」とこの本でも書いておられるのですね。境界領域というよりは、「考古学の研究成果を積極的に参照した文化人類学」というように私には感じられますけども。

 さて、この本は、そんな後藤さんのそれまでの研究を駆け足で紹介したものです。タイトルにはソロモン諸島(メラネシアに含まれる)とありますが、東南アジアやポリネシアの話もわりとちょくちょく出てきます。日本の話もですね。後藤さんとメールを遣り取りしていると、今日はフィリピン、明日は台湾、一昨日は沖縄という具合に、なにやらいつもあちこちを飛び回っておられて、どうにも「この地域が専門」「現在はこの地域を集中的に研究している」というものが判りづらいのですが、実際にこの本も、ちょっと内容は散漫かなあ、という印象です。本一冊を通して、読者をぐいぐいと引っ張っていく牽引力に欠ける気がする。

 実は後藤さんは、調査対象にしているフィールドは異常に多彩なのですが、学問的な手法はすごく手堅くて、淡々と、あるいは黙々と、「これだけは確実に言える」というファクトを積み重ねて論文を書かれるタイプの研究者です。個々の論文では夢は語らない。石橋は構造計算書までチェックしてから渡る。だから、後藤さんの個々の論文は、その地域そのテーマに関心がある研究者には「読みやすい」けれども、通りすがりの素人を魅了するフェロモンは決定的に欠けているんです。

 これは、悪口じゃないですよ。日本で活動する研究者としてはむしろ有利な特性。素人受けする外連味の効いた研究者は一段低く見られる世界ですから。論文の文章はつまらなければつまらないほど良い。査読を通りやすい。それが日本です。それに後藤さんは素人を意識して書いた『海を渡ったモンゴロイド』では、一転してとても魅力的な夢を語っている。その気になれば、そういうものを書く技倆が後藤さんにはある。

 ただ。この本に関しては、うっかりしたものか、研究者としての後藤さんの文章がかなり残ってしまっているんですね。ですから、研究者・後藤明の論文をなんとなく並べた本に近い。部分部分では魅力的な描写があり、雄大な夢や、おっと思わせる指摘がありますけれども、全体として一つの作品にはなっていない。私はそう感じました。

 とはいえ、この本は、ソロモン諸島の離島に暮らすメラネシア系住民の民族誌としては、手に入りやすい方ですし、文章も平易で個々の章も短いですから、そういったテーマに興味があれば、是非読んでみることをお奨めします。