『漂海民:月とナマコと珊瑚礁』

 『南の島へ行こうよ』を書かれた門田修さんの本で、最初に出たのは1986年ですからもう19年前ですね。フィリピン西岸の漂海民サマの一家の家船に3ヶ月間同乗して書かれたエスノグラフィです。門田さんは文化人類学者との親交が深いので。ご自身は研究者ではないですけれども、その観察記録はとても精度が高く、また詳しいものに思えます。

 サマとは、夫婦と子供二人ほどで珊瑚礁の海を回りながら簡単な漁労を行って生活しているムスリムのことです。このウェブログのメインテーマであるリモート・オセアニアどころかニア・オセアニアでもないのですが、同じアジア系民族で海と深く関わって暮らしている人々ですし、あるものを理解しようとしたらどうしてもその周辺のものも見ていかないといけませんから、紹介する次第です。

 文章はとても読みやすく、著者と一緒に家船に乗って珊瑚礁の海を漂っている気分になります。著者のくせとして時々、露骨に性的な比喩表現を使うことと、また所により非常に内省的になる(私は日本独特の文芸ジャンルであるとされる私小説というものを一切読んだことがないのですが、もしかしたらこれが日本の誇る私小説の伝統の現れなのでしょうか)ことが指摘出来ますが、これが気にならない、あるいはやり過ごせる(私は読み飛ばしました)のであれば、お奨めです。

 一番興味深かったのは、最後に著者がインフォーマントに「何故、こんなに親切に協力してくれたのか?」と問う一節でした。著者に協力したのは学校の先生のハッジ・ムサさんという方ですが、ムサさんは次のような事をおっしゃったそうです。

「かつてこの島に人類学者が来て、自分たちの歴史を調べた事があった。その時、自分たちの歴史を記録しておくことがいかに大切なのかわかった。もう10年もすれば伝統的な生活をする漂海民サマはいなくなるだろう。私たちはフィリピン社会では最下層の存在として差別されているが、それでも陸の上で私たちの子孫は生きていかなければならなくなる。その時、自分たちの祖先が何者だったのか、いかにして生活していたのかの記憶が失われていたら、彼らは自分たちが誰なのかわからないままになってしまう。自分は彼らに漂海民の末裔としての誇りを持って欲しい。だからこうやって人類学者たちに協力している。前に自分たちの所に人類学者たちはみな尊敬され、その名前を子供に付けた人も居た。自分は次の子供が男の子だったらオサムと名付けるつもりだ。」

 このムサさんの語りの重さは、ポストコロニアルの人たちが振り回す「政治的正統性」だの「オリエンタリズム」だのの軽薄さを一撃で粉砕する切実さに満ちていると私は思います。

 それが外部からのまなざしであっても、とにかく記録出来る時に記録しておかなければならない。

 ポリネシアの航海カヌー文化復興もそうでした。現代のポリネシア人たちは、かつて彼らの生活を記録した西洋の人々の残した文献からしか古代の自分たちの姿を知ることができず、そこから新たに自分たち自身の航海カヌー文化を再創造していきました。彼らは「オリエンタリズム」もまた(おそらくは承知の上で)併せ呑み、健康で平和な未来を切り開く為の手斧として鍛え上げていったのです。
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