チヌリクラン顛末

 昨日は私を含む航海カヌー・マニア数名で、文化人類学系の映像プロダクション、「ヴィジュアル・フォークロア」にお邪魔して参りました。ヴィジュアル・フォークロアは門田修さんの「海工房」などと同じく、学術系の映像製作に片足を突っ込んだ映像プロダクションで(というか代表の北村さんは門田さんの先輩格で、勿論二人はお知り合いだそうです)、昨日はヴィジュアル・フォークロアさんがこれまでに製作されたカヌー関係のドキュメンタリーを見せていただきに窺ったわけです。

 新宿御苑のすぐ脇にあるオフィスの本棚には、文化人類学の専門書がずらりと並んでおりまして、まるでどこかの大学の研究室のようでした。

 さて、昨日見せていただいた中で最も印象に残ったのは、若きイングランド人スタッフのアンドリュー・リモンドさんがここ数年取り組んでおられたという、台湾の蘭嶼島の先住民、ヤミ族のドキュメンタリーでした。ヤミ族は伝統的にトビウオ漁が盛んなのですが、そのトビウオ漁に用いられる大型の木造漁船「チヌリクラン」が、村で数十年ぶりに建造されて進水するまでを追ったドキュメンタリーです。

 チヌリクランというのはこんな船です。パンの木から造ります。

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 その内容は、このドキュメンタリーが公開された時のお楽しみということで、敢えて書くのを止しますが、一つだけ非常に印象に残った部分がありますので、そこだけチラ見的にご紹介しましょう。

 チヌリクランそのものは、村の男たち総出でともかく完成し、海に浮かべられます。問題はその後です。チヌリクランを使うには10人の漕ぎ手(パドルではなくオールで漕ぎます)が必要なのですが、この漕ぎ手が集まらないのです。船が出来るまでは盛り上がったのですが、いざ船を使おうとしても、人が集まらない。老人たちは、「若者たちは伝統文化の継承に興味が無い」と嘆きます。一方、若者たちは、チヌリクランを出しても獲物となるトビウオが充分に獲れないことを問題とします。

 実は、台湾島から近代的な漁船が蘭嶼島沖までやって来て、巻き網のような近代漁法でトビウオを根こそぎ乱獲しており、チヌリクランが操業するような場所ではもうトビウオは殆ど獲れない状態になっていたのです(リモンドさんの話では、つい最近になって台湾島の漁船のトビウオ漁は禁止されたそうです)。

 結局、チヌリクランは使われないままに野ざらしで浜に置かれたままとなってしまいます。

 ここには一つの教訓があります。伝統船を再建したとして、その船が普段の生活の中に無理なく溶け込んで存在出来るような状況が整備されていなければならない。さもないと、船は造っただけで終わりになってしまう。その為には、社会状況に合わせた船の運用体制のデザインの最適化も必要でしょう。そして自然環境もまた、きちんと手入れされていなければならない。伝統船は、それを取り巻く社会・自然と不可分なのです。

※他にもチヌリクランを建造した村はいくつかあるようですが、やはり「造って海に出して終わり」のようです。
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/00695/contents/0022.htm