漂海民文化と航海カヌー文化

 昨日は病院の待合い室で半日潰しました。体のあちこちにガタが来ている私です。ある日突然更新が止まったら命運尽きたのだと理解してください。

 さて、それだけ時間があれば本の一冊も読めるということで、昨日は後藤明さんの『海を渡ったモンゴロイド』をじっくりと読んでみました。これは非常に良く練られた名著ですから、ホクレアに興味がある方には是非ともお買いあげいただきたいのですが、このウェブログでも折に触れて内容を紹介していきます。

 今日は近年進んでいるDNA解析から見えてきた、ポリネシアと東南アジア島嶼部、そして東アジアの関係について。

 現在、考古学に用いられている遺伝子資料にはいくつかのメジャーな分野がありますが、その中に「-α+タラセミア欠損」というのがあるんだそうです。これは赤血球に関わる遺伝子で、その一部が突然変異によって欠損した型の遺伝子があるんですね。それで、この遺伝子を受け継ぐと貧血になりやすいのですが、逆にマラリアには耐性が付く。ですからマラリア汚染地帯であるメラネシア(ニューヘブリディス、ソロモン、ビスマルク、つまり東南アジアから東に向かってポリネシアに入る手前のエリア)の先住民には非常に多い。そして何故かポリネシア人もこの遺伝子を沢山受け継いでいるんだそうです。逆にミクロネシアあたりにはこういうものはあまり見つからない。
 
 これが何を示唆するか。普通に考えれば「ポリネシア人はメラネシア経由でポリネシアに拡散していった」って事です(一部で囁かれている「縄文人がミクロネシアからバヌアツ経由でポリネシアに拡散していった」説も、一応の整合性は取れます)。母親からのみ受け継がれるミトコンドリアDNAの型の検証でも、ポリネシア人はミクロネシア人よりはメラネシア人に似ていますから、マラリア耐性遺伝子の分布と対応した結果と言えますね。

 次に男親から男の子供に受け継がれていくY染色体のパターンの分析結果を見てみましょう。これはちょっと面白いですよ。この界隈で一番色々なパターンを持っていたのが東南アジアの人々で、台湾先住民とも、オセアニア諸地域の先住民とも、共通性があった。一方、台湾の先住民とミクロネシア・ポリネシアの人々とでは、ほとんど共通性が無かったんだそうです。

 つまり、ポリネシア人の原境が台湾あたりで、そこからフィリピン、ニューギニア経由で拡散していったという、比較言語学上最も蓋然性が高い仮説と対立するということです。Y染色体から見たら、彼らの原境は東南アジアであり、そこから台湾方面に上った人々とポリネシアへ向かった人々がいたという方が蓋然性が高い。

 そこで後藤明さんはこんな仮説を提示しています。

 まず、Y染色体分析の結果を重く見て、ポリネシア人の祖先の男性集団は東南アジア沿岸部がルーツとする。この集団が形成されたのは氷河期、つまり海が退いていてベトナムあたりの海岸線が今よりも沖の方にあった時代。ところが氷河期の終了とともに海面が上昇して来たので、この辺りは現在のような多島海に変貌し、彼らも多島海に適応した海洋民となったと。

 さて、この多島海域で航海能力を高めた集団は次に(土器などの)交易の為に北へと向かい、台湾島において中国大陸系の人々と交流を開始する。この時、東南アジア沿岸部の言葉と長江下流域から台湾島にかけての言葉の間で発生したピジン言語、つまり異なった言語集団の間で交易その他の為に生み出される簡易言語がオーストロネシア語の祖語となったと。そして、東南アジア島嶼部多島海域から台湾島に北上した集団は、現地で通婚し、子孫を残す。これがアミ族やヤミ族となった。また台湾島から連れ帰った女性達との間に生まれた子供達はオーストロネシア語の祖語を母語として育ち、オーストロネシア語をクレオール言語(限定的な内容しか伝達出来ないピジン言語が、あらゆる内容を表現出来る自然言語に進化したもののこと。3世代あればクレオール言語は完成すると言われている)へと変化させていったと。

 次にこの多島海域の集団はオーストロネシア語を分岐進化させつつニューギニア島沿岸部沿いに東に向かい、メラネシアを経由してオセアニア各地へ進出していった。こうしてメラネシア人、ラピタ人、ポリネシア人が成立したわけです。

 この説で後藤さんが強調しているのは、ユーラシアとオセアニアの界面にあって、人類が海洋文明を生み出すのに最も適した海域はフィリピンとベトナム、インドネシアの間にある多島海域であるという事です。たしかに縄文人も黒潮を渡る技術は持っていたかもしれないけれど、彼らの生活は海と山に跨っていました。彼らはあくまでも黒曜石や翡翠という貴重品を獲得する為に海に乗り出していったのであり、それは男の仕事だったでしょう。しかし、多島海域の人々は現在に続く漂海民文化に典型的に見られるように、海そのものが生活の場であり、征服すべき対象では無いのですね。女房子供を船に乗せて気軽に海に乗り出していき、そのまま海を漂って一生を送る。このような海域こそがポリネシアの海洋文化の種を育んだのではないか。

 この説にはなかなか説得力があります。考古学や言語学の知見を踏まえた上に、宗教人類学の研究者らしく、人間の感性のありようにも配慮して立論されています。この説の今後の展開には多いに期待していきたいですね。

 また、後藤説に従えばポリネシアの海洋文化の母胎となった多島海域の漂海民文化についても、改めて注目したいものです。既に紹介した門田修さんの『漂海民:月とナマコと珊瑚礁』ですが、後藤説を踏まえて読むとまた違った味わいがあるかもしれません。

 それとね。台湾島ってつい60年前までは日本国だったんですよ。今でもオーストロネシア系の先住民は他部族との交易用言語(リンガ・フランカと言います)としてピジン日本語を使っているそうです。だんだん台湾のピジン日本語は消えていっているそうですけどもね。