雑誌やウェブメディアの編集者が論客にあまり向かない理由

雑誌やウェブメディアの編集者で目立つのが好きな人が、業務を通して自分のとこに集まってくる情報をウェブ発信してそこそこフォロワーが付くというのをたまに見かける。

情報が早かったり一次ソースに触れられたりするからそれなりに価値がある情報発信である一方で、彼・彼女の価値は、多くの場合、まさにそこにしかない。

そこを勘違いして、論客気取りで諸々を語るようになると、思考の浅さが露呈して痛いことになる。

雑誌編集者の仕事は、言ってみれば仕入れてきた情報をもっともらしく加工して右から左へ流すこと。そこで求められるのは、買い手/読み手に半月ばかりの間、そんなもんかと思わせておく幻惑の手管だ(それはそれでニーズがある商売だからよしとする)。

一方、何かについてきちんと議論するときに必要なのは、自分はどんな情報源に基づいて何をどのように考えたかを示すことだ。詳しく知らない領域については、自分はこの領域は専門外なので一般論しか言えない、とか、こういう文献を読んだ限りではこう考えることが出来そうだ、とか書く必要がある。

つまり、雑誌編集者のやることと誠実な論客のやることは本質的に真逆なわけだ。

だが目立ちたがり編集者はしばしばそこを理解せず、産直採れたて情報を、それが産直採れたてであるというだけで、いかにもこれが答えだみたいな顔でドンと客の前に置く。特に外国に明確に「本場」があって、会社のカネで「本場」に行けちゃったり、「本場」の住民とお知り合いになれたりすると、もういけない。俺、「本場」知ってるから。今、あっちではみんなこういうことを話してるんですよお客さん(ドヤ顔)!!

痛い。

どうしようもないんだけどねもうこれ。そういう人ってそれなりに組織の中では上の方にいる人なので、厳しく突っ込まれると怒っちゃうから。

もちろん編集のスキルとは別に何かの分野についてきちんと勉強している人は別です。そういう人は自分の専門領域は何かがちゃんと見えているので、痛いことにはならないし。