尖っているつもり、と、尖っている、の違い

これ、今朝書きかけて止めた話題なんですが、やはり書いておく価値がありそうなんで書き留めておきます。

去年もそうでしたが、私がまず3年生のOBOG訪問で声をかけるのは自分の直接の教え子たちです。つまり加藤ゼミの先輩後輩という関係。気心も知れてますし年齢も近く、後輩の多少の「至らなさ」には目をつぶってくれますからね。

その次が私より若い校友、その先には校友でもない方を伝手を辿って紹介していただいて・・・という具合にステップアップしていきます。最後らへんになると、役員さんとか部長級、オーナー家の跡取りみたいな偉い人まで面談をお願いするケースも珍しくありません。

当然、連絡には細心の注意を払います。ゼミOBOGへの訪問なら一度目だけ学生のメール添削ですが、その先は基本的に全部私が目を通してOKが出ない限りは連絡不可にしてます。それでも事故は起こるもので、学生ともども平身低頭でお詫びしたこともありますよ。

さてその、訪問をお願いするメール。

今年の3年生で春くらいからもう色々と動いてた子なんですが、最近ではほぼ一発でOKテイクを出してくるくらいにレベルアップしてきました。手慣れ過ぎてきて面白くないんで、OKで良いんだけで敢えてリテイクにして「ここ、もっと素直に気持ち表現してみて」と突き返したら、次に出して来た文案できっちりOK取るくらいで、本当に大したもんです。

こういうスキルは大事だと思いますよ。本当に尖った生き方をしようとしたら、絶対に必要だと思う。こういうのを下らないってそっぽ向いてツバを吐いているようじゃ、尖っているつもりで同族以外からは相手にされず社会の周縁をほっつき歩いてるヤンキーの類いにしかなれない。世の中の何かを変えるような、本当に尖った人間になろうと思ったら、この程度の手管は使えて当然でしょう。

ちなみにその学生、1年前には決してそんな文章上手い子じゃなかったですよ。でも尖ってはいた。

今は? 文章上手いです。で、相変わらず尖ってます。誰よりも尖ってる。尖ってるつもりの内弁慶くんたちより遥かにね。