マイノリティ論から見た「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」感想

「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」を見てきました。

描かれているのは、TVシリーズにも登場していたガトランティス(旧作では「白色彗星帝国」と呼ばれた勢力)の遠征軍の進路上にヤマトとドメル艦隊の残存部隊(七色星団会戦で唯一生き残ったガイペロン級空母「ランベア」)が存在していた為に発生した遭遇戦の顛末です。

本稿では幾つかの論点に絞って個人的な感想をまとめておきたいと思います。

1) 面白かったか?

面白かったです。中盤のヤマトホテルの共同生活の部分はもう少しテンポよく編集しても良いかと思いましたが、全体の構成で気になったのはそれくらい。

2) 統辞と連辞

2-1 統辞

本作品の主な統辞構造は以下の通りです(他にも幾つかの登場人物の個人的な統辞ラインがありますが省略)。

A: ヤマトは、自ら及びガミラス艦隊を生き延びさせる為に、ガトランティス艦隊と交戦しこれを殲滅した。

B: ランベアの最先任将校であるバーガー少佐は、ヤマト乗組員との共同生活に困惑しつつも信頼関係を築き、ヤマトと協働でガトランティス艦隊を殲滅しランベアを祖国に帰還させた。

C: ガトランティスに属する部族の族長ダガームは、ズオーダー大帝の命を受けて古代の遺跡を探索したが、本来の任務を忘れてヤマトの捕獲に拘った為に敗死した。

Aのラインでは「波動砲を封印した」「ガミラスとの友好関係を堅持したい」という、TVシリーズには無い動機を与えられたヤマトが、その条件下でいかにして難敵を撃破するかというテーマが描かれます。このテーマの解として用いられたのは古代進の指揮官としての能力の成長です。

Bのラインは、TVシリーズ最強の雄敵かつ有徳の人物として描かれたドメル提督の物語の後日談です。ドメルに心酔する若い将校が、敗北を乗り越えて人間として成長し、故郷へ帰るという物語です。バーガー少佐はヤマトとの戦いで多くの人材を失ったガミラスの再建を支える人間になるのでしょう。

この二つのラインについては、非常に上手に描けていたと思います。特にBのラインは秀逸で、終盤のバーガー少佐はまことに格好いいです。主役。

一方、AとBのラインを成立させるためにちょっと無理を引き受けさせられたのがCのラインです。理由は次節で述べます。

2-2:連辞

連辞というのはテクスト分析においては、物語中の任意の要素を他のものに入れ替えてみたときに、物語全体がどのように変わって見えるか、という検討方法を指します。

ここではCのラインのダガームに絞った検討を行います。

ヤマトとランベアの共闘はAラインとBラインを同時に着地させて物語を終わらせるためにどうしても必要な条件です。その為にガトランティスを登場させるのも妥当です。

問題は、ガトランティスには本来、ヤマトを攻撃する動機が無いということです。先にダガーム艦隊をランベアやミランガルと遭遇させ、ヤマトにこれを救援させるという構造も考えられますが、そうすると本作の最も主要な動機である「異文化間の相互理解と協働」を描くためのエピソード(ヤマトホテルのパート)が非常に弱くなってしまう。TVシリーズ14話「魔女はささやく」はヤマト乗組員の望郷の思い+滅亡しようとしている少数民族の悲哀がテーマでしたが、本作のこの部分は同じギミックを用いつつも描く内容は全く違うのですよ。

これを解決する為には、ガトランティスを論理ではなく感情で行動する勢力として描かなければいけません。そこで本作ではダガームを部族社会(=トップダウンの軍人組織とは別の仕組みを持つ軍事勢力)の価値規範を引きずっている人物として設定し、これと対立する価値規範を持つガトランティス人としてサーベラーを出した。

一方で、ダガームの非軍人性を強調するために、ダガーム艦隊の乗組員をかなりキッチュな(ポリネシア文化センターみたいな)描き方で見せた。今どきの先住民のテクノクラートは観光以外の場では伝統衣装は着ないし伝統儀礼もやらないんですがね。マオリ・オールブラックスはマオリの伝統衣装を着てラグビーの試合はしません。

つまり、ダガームの部分にかなり無理な演出を押し込んでいるので、ダガームを例えばランバ・ラルのようなド軍人に入れ替えると、AラインとBラインが上手く回らないんですね。

この部分がちょっと詰めが甘かったかな、というのが、マイノリティ論研究者としての感想。

3) まとめ

プラモデルを買うとしたらランベアかダロルドですね。ダロルドを塗り替えてミランガルに。でもコスモファルコンも捨てがたい。