ドワンゴクリエイティブスクール小野健一ゼミ公演「時よとまれ 君はややこしい」劇評

昨日は劇を見てきました。

ドワンゴ・クリエイティブスクールの小野健一ゼミによる公演「時よとまれ 君はややこしい」です。

お誘いしたのは私より10歳ほど若い友人で、大手製作会社の外画部門の方。この公演には教え子の當瀬このみが出ておりまして、ストレートに言えば「當瀬が使えそうなら発注を検討していただく為」の視察というのが我々のコンセプトでした。

さて、その當瀬から、手加減の無い劇評を書いて下さい、お値段も付けて下さいと頼まれておりましたので、こちらにアップ致します。

1) 台本

江戸時代の下総国を舞台に、シェークスピアの様々な作品(「リア王」「マクベス」「ハムレット」「ロミオとジュリエット」「ベニスの商人」「リチャード3世」など)を継ぎ接ぎしたドタバタものです。1980年代の小劇場ブーム(鴻上尚史、野田秀樹らの)の頃によくあったような作品だと思います。

正直に言うとコンセプト倒れで、リアルタイムで引用元を全て追えている観客はほぼ居なかったのではないかと思います。やり過ぎです。

仮に作品の主題を「継ぎ接ぎのやり過ぎをしてみた」に設定してあるとしても、演出は他にやりようがあります。具体的に言えば冒頭と終幕の部分で、もっと強く明確に「コピー&ペースト」「リミックス」が主題であることを伝えるべきです。冒頭で作品を読み解くためのマスターキーワードとして提示された「シェークスピア」が早口過ぎてよく聞き取れない(「なんかシェークスピアの話してるなあ」くらいにしか認知出来ない)など、演技指導上かなり大きなミスだと思います。

2) 公演概観

舞台セットを一切用意せず、役者の演技だけで劇を進行させる演出です。ローコストで済むメリットがある一方で、役者に求められる演技力はセットがある場合に比べて2段か3段は高くなります。

今回はそれが裏目に出ました。

二つの対立した博徒集団の抗争が最も大きな筋になるのですが、同じような衣装、同じような役名、同じような演技のチームが頻繁に入れ替わって、セット無しでストーリーを展開するので、今どちらのチームが出ているのかそもそも追いづらいのです。加えて役者の演技力が非常に低いので、最初の30分くらいは誰が何の話をしている場面なのか、殆どわかりませんでした。

次に同じ作品を同じレベルの役者集団で上演するのであれば、ハードウェアを活用した情報伝達はリッチにすべきかと思います。

また、声優育成をメインとした演劇専門学校の研修公演であることは、来場者なら誰でもわかっているので、アナウンスや口上でそれを更に念押しする必要はありません。同行した方もおっしゃっていましたが、発注を検討しているクライアントが見に来た場合、プロ意識が低い集団だなと感じるようです。

3) 役者について

男優、女優がそれぞれ7人か8人ほど出ていました。しかしながら、ほぼ全員がプロで通用するレベルには達していないというのが、我々の共通見解でした。

私が考えるその理由は次のようなものです。

身体芸術performing artsを遂行している最中の身体は、日常生活の身体とは別の状態に入っています。心拍も上がりますし代謝量も増えているでしょう。ですがそれがパフォーマーの定常運転状態です。

そこからフェーダーを上げていくと、パフォーマーの表情や声、動作は強く、激しく、大きく、早くなっていきます。フェーダーを下げればこの逆です。expressionは弱く、穏やかに、小さく、遅くという方向に変化します。

そして、昨日見た役者さんのほぼ全てはこのフェーダーが全部メイチで上がりっぱなしの状態でした。電気楽器のエフェクターで言うとgainノブ1個しか付いていないやつを全開にしっぱなしという感じ。だから、一人一人を見ても演技が一本調子で平板だし、集団として見ても全員がフルテンでやっているので、コントラストは極端に低いし、ダイナミックレンジも極めて狭い。

残念ながらこれでは、高校演劇でちょっと上手い学校のレベルです。

同行した制作会社の方によると、発声と滑舌はさすがに大変良いそうでしたが。

4) 當瀬このみについて

彼女の舞台を見るのは2012年4月のシアターカンパニーsmash公演「掌の宇宙」以来、2年半ぶりでした。前回はチョイ役でしたが、今回はほぼ主役級の役です。

さて、當瀬の演技ですけれども、前節で用いた喩えを使うならば、フェーダーがちゃんと4素子(大きさ、強さ、激しさ、早さ)に分かれて付いていて、しかも持ち上げるだけでなく削る使い方が出来ている。出来ているというより、削る方のexpressionを多用している。小さく、弱く、周波数低く、ゆっくりと。これだけでも、あの集団の中に入ると抜群に目立つわけです。そして、ここぞという時だけフェーダーをクイっと持ち上げてみせる。その持ち上げる速度も微妙に変えているので、アタックタイム(expressionが増加し始めてからピークに達するまでの時間)もバラエティに富んでいて、演技の色彩感が生まれます。

また、今回は彼女が「声優として使えるかどうか」の品定めをお願いしたのですが、声についても、私が知っている彼女の声(講義中の発言)とはかなり異なる、よく通る声を使っていました。楽器で言うとヴァイオリンのA線(2弦目)の開放から完全5度上くらいまでのゾーンの音に近い印象です。アニメの萌え声とは全く別系統の声。

意図的なものかどうか、エロさはイマイチでしたが、そちらも彼女の中のフェーダーで足したり削ったり出来るようになると、やれる役どころの幅が更に広がるのではないかと思えました。

5) その他

演劇学校の公演だからか、観客の大半は役者たちと同世代の若者たちでした。おそらくは友人であったり、演劇仲間であったりするのでしょう。今回はそれが悪い影響を与えていたように思えます。

これはクリエイター志望の学生たちのコミュニケーションを見ていても強く感じるのですが、彼・彼女らは褒められることだけを求めていることが非常に多く、ちょっとでも批判的な感想を伝えられようものなら嫌そうな顔をする、不貞腐れる、アカウントブロックする。すなわち批判耐性がほとんどゼロなのです。それはお互いにわかっているので、彼・彼女らの集団は空疎な褒め合いに終始します。カラ承認の応酬。そんなに褒めるんなら、この作品にあんたいくら出すんだい、と言いたくなりますが、そんなこと言おうものなら即座にブロックです。

まあ、一般大学の学生ならば結局はサラリーマンになってなんとなく生きていくのがデフォルトですから、それはそれで良いのです。ですが、仮にもプロのパフォーマーを目指す子たちの公演でそれをやっていたら、終わりでしょう。いや、終わる以前に始まらない。

もっともっと真剣に、相手を学割無しで評価して、ダメなときはダメと伝えるような空気感があるべきでした。

6) 値付け

私は當瀬このみが私のゼミで最後に製作した個人作品を6000円出して買いました。それだけの価値があると判断したからです。

では今回の公演には幾らまでなら出すか。300円です。ちなみに定価は1000円でした。

同行した友人の意見です。彼女はもう実際のプロの仕事の現場にどんどん入っていって揉まれるべき時期である。同感です。その方が遥かに成長速度も早いでしょうし、その為の準備は出来ていると考えます。

どなたか、彼女をもっと厳しい場所に引っ張り上げてやって下さい。よろしくお願い申し上げます。