平野綾と数字アイドルの芸能人としての深度は一段か二段違うという

平野綾という人が動いているのを見たのは先日のFNSなんとかってイベントの動画が初めてでしたが、こらとんでもなく芸達者な人だなと感心したのは既報の通りです。

左右で踊っていた48アイドルとの最大かつ本質的な違いは、平野綾は役者であるということだと思いました。

役者というのは、与えられた役をまずはオーダー通りに、可能であればオーダーを全て満たした上でそれ以上のものを付け加えて演じるのがお仕事です。

著名作品であれば先行する他の舞台を参照して、それらに対して自分の演技をどう提示するかまで考えるのも普通。作中に出てくる文物や時代背景について調べるのも普通。

実は役者というのは西洋の伝統では大変にアカデミックなお仕事でして、そもそも古代ギリシアでアリストテレスなんかが大真面目に演劇論を研究していたわけだし、近世になると劇作家というのはひとかどの文化人でした。近代になって芸術がアカデミー制度の中に組み込まれると、当然のように演劇学校もアカデミーの一部門を占め、フランスの国立高等演劇学校とかイギリスの王立演劇学校とかいった名門も登場して参ります。

平野綾がそういうアカデミックなところを卒業しているわけではないですが(入学はしたが忙しすぎて中退したらしい)、お仕事の領域としてはかようにプロフェッショナルの方法論が学術的に構築されている。

それで平野綾もFNSなんとかでは「涼宮ハルヒの中の人である平野綾」というオーダーの役どころを完璧に演じてみせたんですね。たぶん、他の役で(例えばガルパンの持ちキャラで)「ハレ晴レユカイ」をやれと言われたら、やれちゃうでしょう。

これに気付いたのは、「けいおん」で澪ちゃん役をやっていた日笠陽子が、メインキャラセットが共通する「ろんぐらいだあす」と「響けユーフォニアム」で全く別のキャラを(澪ちゃんに相当するキャラではないキャラを)さらっとこなしていることを知った時ですね。

え、これが澪ちゃん役やった人の演技なの? 全然違うキャラだ!

つまり。

数字アイドルはそのグループのメンバーのなんとかちゃんという単一のキャラで色々なことに挑戦してみせるそのプロセスに対してギャラや売上が発生するのですが、役者は発注のあったキャラを発注どおりに演じることでギャラをもらっている。

だから芸能人としての深みが理論上、一段か二段は違う。その力が無い声優は消えていくわけだから、ここまで生き残っている平野綾が尋常ではない芸のパワーを備えているのは当たり前なんだなと昨日、お風呂の中で考えたのでした。