同じような図面なのに工場での仕上がりが違う問題

生粋エンジニア(システムエンジニア含む)の人に聞きたいことなのですがね。

図面引いて工場に渡してモノが上がってくる。
同じ工場に渡せばまあ同じ機材と同じ技術で作ってもらえる。

にも関わらず。それにしては。

図面を引く人が違うとモノの仕上がりが違うことってないですか?

良いモノを引き出せる人が0.1mm単位で、そうでない人は1mm単位の図面を描いているというわけでもなく。だいたいバッグなんか2mmくらいは製造公差で通る世界だし。

私はバックグラウンドが哲学ですし、哲学の語彙を使えばこれは簡単に説明出来るんです。良い図面はイデアから発している。スカタンな図面はイデアが無いから魂の無いキョンシーみたいなモノしか出来てこない。

(イデアとはプラトン哲学の概念で、和訳は真実在。現世の人間には直接認識することが出来ない存在のホンモノモードのことです)

ホンモノをイメージして描いた図面でないとホンモノは出来ない。当たり前っちゃ当たり前だが、そのホンモノって何なのだ。まだこの世に存在したことが無い新しい未知のプロダクト作ってる時にホンモノもヘチマも無かろう。

これは循環論法なんですよ。

私は良いんです。私個人は循環論法でもギガドリルブレイクみたいに一回転するごとに前進して向こう側に突き抜けることが出来る力を与えられた、選ばれた存在だから。

今の課題は、そのホンモノ的図面を引く方法を、循環論法や根性論によらずして他人に教えることが出来るのかどうか。出来るとしたらそれはどんな手法なのか。それです。

ゴールさえわかっていれば、図面-サンプル-イデアという3段階を最も効果的に測定して記述出来る変数を、よーく観察して見つけ出せば良いだけ。

では、そのゴールはどうやって決めるのか。

精密な要件定義を書き並べてみる?

ことモノに関して言えば要件定義ってそれそのものから全体像が導き出せるようなもんじゃないと思うんですけど。LMP1クラスのレギュレーションからLMP1のレーシングカーのデザインって出来る? 出来るようで出来ないですよ。レギュレーションからモノのカタチの全体の間には深く広い谷があって、そこを飛び越すのは今はデザイナーのイマジネーションのはず。

困った。困った。