市民活動とプロフェッショナリズム

 昨日は元MTBプロ選手のM氏と一緒に南山を走ってきました。UCIのMTBマスター世界選手権で1桁順位まで達成したという怪物だけあって、34T×16Tという重いギアリングのシングルスピード29erを自在に操り、豪快な走りを見せてくれます。南山の入り口にある20%前後の激坂(ボコボコに荒れた路面は落ち葉でツルツル・・・カペルミュールやコッペンベルグを上っている気分を味わえます)までこれで足つき無しに上るんだから、話になりません(笑)

 ちょうど開催されていた「南山問題市民連絡会」や「ちーむポンポコ」による南山見学会の群衆の目の前で、常識ではあり得ない上りをなんなくクリアしてみせた彼にやんやの喝采が送られていました。あれは金が取れる芸だもんな。

 さて、そんなこんなで私が南山を楽しんでいるちょうどその頃、「南山の自然を守り育てる会」では「里山コモンズ住宅」事業についての会の方針を決める理事会が開催されておりました。その結論はまだ伺っていませんが、果たして彼らがこの後、どのようにして南山の街作りに関わっていくのか(あるいは関わっていかないのか)、注目しています。

 M氏の29erを追っかけながら私が考えていたのは、市民活動におけるプロフェッショナリズムとエクスパーティズムの意味についてでした。

 2月でしたか、大井町の居酒屋で拓海広志さんやネパール研究の佐野麻由子さんと飲んだ時に、佐野さんがビジネスライクという言葉を「お金もうけに徹する」「冷淡」というような意味で使ったのを拓海さんが厳しく批判しておられたのが、とても印象に残っているんですよ。拓海さんは「ビジネスの本質は金もうけじゃない、愛だ!」と断言されます。人のために役に立てなければビジネスは成立しないし、その根源を辿っていくと隣人愛(agape)がある。「自分たち経営のプロはヘッドハンティングされて3年で結果を出せなければクビですよ」というその同じ口が、「ビジネスは愛だ」と叫ぶ。

 この理屈、私にはとてもよくわかります。そもそもプロフェッショナリズムという概念そのものが、キリスト教徒の信仰心と結びついて生まれてきていますからね。単純に言えば、何かある仕事に情熱的(passionately)に取り組む時に、公への奉仕をその動機とするのがプロフェッショナルで、自分の個人的な興味関心を動機とするのがアマチュアです(両者を見分ける一番簡単な方法は「個人的には忸怩たる思いがある仕事でも、私心を捨て情熱をもって取り組めるかどうか」ですね)。プロフェッショナルは自分の仕事を金のためと割り切っているとか、金のためにやっているという捉え方は、ですから言葉本来の意味を知らないところからくる誤解なんですね。2次元グラフにするとこうなる。

       Public
bureaucracy ┃ professional
   apathy━╋━ passion
 moneymaker ┃ amateur
       Self

 上のグラフの第1象限に入るのが本来のプロフェッショナル。第2象限にはアマチュアが入ります。第3象限にはマネーメーカー(moneymaker)でも入れておきましょう。金のためだけに仕事をする人です。第4象限は官僚主義者(bureaucracy)でしょうか? 情熱をもって仕事をしない公務員のことですね(あ、言っておきますが稲城市開発調整課のみなさんは私が見た限りではプロフェッショナルです)。

 おわかりのように、ここでは仕事における熟練度は問題にされていません。どんなに未熟でも、プロフェッショナルとして仕事に関わるならその人間はプロフェッショナルですし、どんなに経験豊富でもアマチュアとしての関わりならその人間はアマチュア。3次元グラフにして、z軸にexpert←→non-expertを与えればわかりやすいでしょうね。

 ところでもう一つ、このグラフに示されていないものがあるのは気づかれました? 3次元グラフにしてもまだ足りないもの。それは「仕事の目的(mission)」です。何を目指す仕事についてのプロフェッショナルであり、アマチュアなのか? 何を目指す仕事についてのエキスパートであり、ノンエキスパートなのか? そこが実は示されていない。

 南山という問題について言うと、これに関わる仕事には2種類あります。「自然保護」と「街作り」です。「自然保護」について情熱的な方は(amateurもprofessionalも)沢山おられますし、expertもそれなりにおられます。では「街作り」はどうでしょう? 稲城の市民活動の中に、南山の街作りに情熱的に取り組んでおられる人物は(「いなぎ里山グリーンワーク」の川島代表などの例外を除き)、果たして存在するのでしょうか? たしかに自然保護は自然保護で大事なんですが、今後その活動対象としうるのは奥畑谷戸公園や南山西部地区などのまとまった緑地に限られていきます。それ以外のエリアは現実に、そして物理的に、さらに言えば制度上も、宅地となっていっているのですから、「街作り」として関わっていく以外に無いんですよ。いくら泣こうが喚こうがこれはもうどうしようもない。

 「街作り」の枠組みの中でいかに情熱を保ち、professionalやamateurのexpertとして市民活動を展開出来るのか? 南山に今後も関わろうという方々は、そろそろそこのところを自問自答した方が良いんじゃないかと思ってます。