今日は南山の地権者さんで元市議、現在はNPO法人「いなぎ里山グリーンワーク」の川島代表のお話を聞いてきました。
川島代表を一言で形容するならば「稲城の裏も表も風土も地形も知り尽くした長老さん」です。・・・・なあんてね。「長老」なんて書きましたけども、実際にはそんな枯れた言葉は到底似合わない、そこらの若造が10人や20人束になってかかっても敵わない凄まじいパワーを秘めた超人。既に市議は引退しておられますが、その起業家精神も郷土愛も人脈も政治力も桁外れですね。圧倒されました。
いや本当に、メチャクチャ面白いんですよ、川島代表のお話は。例えば「多摩川に上昇気流があるから稲城は雹は降らない。国立までは榛名山の方から来た冷たい空気が雹を降らせる。稲城で雹が降るのは根方谷戸の出口辺りだけだって昔から言われていた。あそこに天神様(穴澤天神社)が祀ってあるのは、そういう理由だよ。」とか「梅、桃、桜はみんな同じ仲間で、梨の木の近くに植えると害虫が梨の木に移る。だから南山に桜の古木なんて一本も無い。昔から桜は生やさないようにしていたから。」というように、昨日今日稲城に移ってきたような人間(我々)では知りようもない、しかし極めて貴重な先住民の知恵が満載なんですね。
同席された方々も、こういう知識や知恵を提供していただかないで「里山コモンズ」なんてあり得ないと痛感されたことでしょう。逆に、川島代表にご協力いただければ、これほど力強い援軍は考えられません。
それにしても、「郊外化」なんて社会学者は簡単に言ってしまいますけれど、表面的にはおなじみの全国チェーン店ばかりが幅を利かせるようになっていても、ちょっと裏に回れば古くからの住民たちのコミュニティがずっしり残っているもんですね。稲城の場合、ニュータウン以外の地域がそういう古くからのコミュニティの残る地域に重なり、ニュータウンは完全に「きたりもん」の世界。
面白いのは、「きたりもん」のコミュニティにも微妙な色合いの差があるってことで、ニュータウンの「きたりもん」でも稲城の土着コミュニティと(「民主主義」とか叫んで)対決しちゃうタイプの人は、わりとニュータウンの初期に来住しているってこと。ちょうどそういう世代が所帯持って子育てに入る時期と街開きが重なったんでしょうか。
私はといえば、後から来た分、そのたぐいの民主主義的闘争が行き詰まっていることを見聞きしていますから、今更その路線はねえ。いくら「郊外化」なんて言ってみても、先住民の思いや立場や実力や知識や人脈を無視しての街作りは良い結果を生まないですよ。宇野さんが日本建築学会の「サスティナブルエリアデザイン+コミュニティアーキテクト特別研究委員会」で、多摩ニュータウンでのシンポジウムをやることになりそうだとのことですが、先住民コミュニティと「きたりもん」をいかに(上下関係ではなく)協調させていくかという問題意識は、こういう議論にもこれからもっと取り入れていく必要があるでしょうね。