黒瀬陽平と藤城嘘に向けて発射されたHIMARSのようなオープンレターに「滝山コミューン」を思い出す

黒瀬陽平とカオスラのセクハラ疑惑については限りなくクロに近いように感じてはいるが、それを裁くのは法執行機関だけに許されたことであるし、どんな悪業三昧の者たちであっても、展覧会を開催していけないという法も無いので、オープンレターに何百人も名前を連ねて吊るし上げるのはどうかと思う。

これね。

もちろん質問状を公開するのも自由なのだが、賛同者などといって業界の仲間を大量動員して3桁の名前を並べてみせるのは、SNSやヤフコメへの批判・非難コメントの飽和攻撃と変わらないのではないか。せめて質問状を出す方も数人程度にしておく方が良いだろうし、SNSで大量リツイートを稼ぐのも危うい。

賛同署名付きの特定個人名指しオープンレターが日常的に飛び交うようになった業界では、誰もが次は自分なのではないかと怯えて自由な発言や活動が出来なくなるのではないだろうか。

あいつのあれが納得いかんからオープンレターで問い詰めるぞ、賛同者集まれ、というような声がいつどこで上がるか。

原武史の『滝山コミューン1974』に描かれていたような、自由や民主主義という一見誰にも文句が言えないもののためという建前で、誰もが息苦しく縮こまって生きなければいけない閉鎖的コミュニティが誕生しつつあるかもしれない。

行き過ぎた正義感は人を殺すよ。

黒瀬陽平や藤城嘘のやってることがおかしいと思うんなら、徒党を組まずに自分の名前で自分のブログなりフェイスブックなりに意見表明したら良いだけの話。

私がこうやって一人で自分の名前で今回のオープンレターに名前を並べた三桁の連中に「君たちのやっていることはおかしい」と書いているようにね。その程度の勇気も無いのかい? 界隈の空気に乗って優勢に見えるサイドに適当なタイミングで加勢して立ち回るだけ? 

現代アートってそういうもんでしたっけ?

(結果的には黒瀬陽平にとっての良い宣伝になっただけにも思えるが)