私は自分の物欲が亡くなってしまったので、息子が欲しがるものを買って一緒に楽しむというライフハックを開発した。
ラジコン、ミニ四駆、ベイブレード、プログラミングトイ、自転車、キャンプ用品、台所用品、工具、ラノベ、テニスラケット、サッカーボール、釣り道具。息子が好きな特撮やアニメも一緒に楽しむことにしてきたので、怪盗ジョーカー、ポケモン、妖怪ウォッチ、ドラえもん、ベイブレードバーストなど一緒に盛り上がって、おかげで息子が高2になってもなお聖地巡礼や映画館に二人で楽しく通うことが出来ている。
ここ一ヶ月半は毎週、涼宮ハルヒのエンドレスエイトを親子3人で見ている。仮面ライダーギーツもキングオージャーもトニカクカワイイも親子3人で見る。
マンガもラノベも雑誌もムックも欲しいというものは買ってやるし、昨日は新条アカネのアクスタを買ってやった。それで息子が堕落した人間に育ったという感じもなく、それどころか既に大人並の分別を身に着けている気しかしない。
欲しい物を買い与える与えないということは、文化人類学的に解釈すると贈与経済の一種なので、贈与者(私)と被贈者(息子)の間では貨幣経済とは異なる関係が成り立つ。
つまり玩具やマンガやラノベやオタグッズを私からもらうときに、息子が受け取っているのはモノだけではなく、その個別のモノを取り巻くコンテクストも同時に受け取っている。店やECサイトに並んでいる商品と「父ちゃんが買ってくれたXX」は全く違うものになる。
重要なのは、そこでどんなコンテクストを載せるか。別の言い方をすると、何かを買い与えることを教育実践としてどうデザインするか。単にモノを渡すのではなく、それを媒介としてどんなリッチなコミュニケーションを成立させるか。そこが大事なところだ。
そもそもオタグッズやマンガやラノベを買う金など、空疎な学校ブランドを獲得させるために学校ブランド信者の親たちが学習塾その他に使う金額に比べればケタが二つ違う。どっちが我が子の役に立つのか、自分の頭でよーく考えることだ。何の話かわからない? わからなくても何の問題もない。無料で読める文章にそこまでの手取り足取りを期待する方が間違っている。