ブラックバス釣りとイクメンと公私混同について

今日は念願のブラックバス釣りを父子で体験して来ました。釣果ゼロでしたがまた東京に戻ったら多摩川ででも釣って来ますよ。

さて、父親の子育てを語るアングルにはいくつかの定番があるようで、一つは「母親の代替/母親の育児タスクのシェア」。それからイクメンブームは実は育休を取れる程度にはホワイトな大企業や公務員のバリキャリお父さんたちの横のつながりから出てきているので、当然ながらわが子のキャリア形成をどうするかというプレジデントファミリー的なアングルにイクメンの粉飾じゃなくて化粧を施したものもあります。

そして椎名誠「岳物語」ちっくな、あるいはBe-Pal的なアウトドアファミリー像の中での古き良きアメリカンビッグダディ、大草原の小さな家のお父さんみたいなパパを目指す流れ。

その最後のやつのキャッチコピーで、父と子が遊べる期間は限られているからそれを大切にしようというようなものが、マーケティング的には市場に刺さるようです。最近は。

そりゃまあ物理的に父も子も有限の人生を生きているんで時間は無限じゃないんですが、まだ子供が小学校低学年のうちからそんな何かに追われるようにして必死にならなくてもと思う私がいます。まるで受験戦争の陰画じゃないですか。入試まであと何年しかないからってやつ。

私自身ももちろん息子との時間を守るために都心への通勤を強要する会社との雇用契約を切らせていただいたくらいで、時間は大事にしています。ですが、切羽詰まって「遊ばなきゃ、遊ばなきゃ」と意識しているわけでもない。

なんでかなとさっき考えたんです。

こたえはすぐに出てきました。

我々の間ではすべてが遊びなんですね。料理も家事も遊び。車の整備も遊び。バッグのデザインだって遊び。ベイブレードバーストもミニ四駆ももちろん遊び。ついでに「父ちゃんの友達は俺の友達」だし「父ちゃんがやることは俺も一通り試す」奴だし。

そして私自身がこの年になってもなお凄い勢いで変化し続けているので、常に新しい「遊び」と新しい「友達」が「俺たち」のところに立ち現われ続けている。こないだ結婚して来月から外国に行ってしまう教え子が「先生の周りはいつも何かが起こっていますから(笑)」と言っていた通り。

かように考えてみると、我々がしているのは「公私混同」であり「お互いの遊びのシェア」ということになるでしょうか。私、仕事の話はたいがい息子にしてますし、打ち合わせとか連れていきますし、例の

「大人の話に子供は首を突っ込むな」

の真逆をやり続けています。どんどん首を突っ込ませてる。意見だって言わせてる。理由ですか? その方が面白いから。それだけです。

つまり遊んでるんです。

なるほどだから切羽詰まって遊びを探さなくても済んでるのか・・・