私のところでは現在、隊長とイニゴくんがセビージャ市内某所に潜入して、非常に興味深い宴席に参加しておるところであります。コンピュータ・ロールプレイングゲームで言えば中盤のターニングポイントになるイベントの真っ最中ってとこですかね。いや本当にね、映画にするなら4巻だけで作ればそれでちゃんとコンパクトに成立したと思いますよ。「パイレーツ・オブ・カリビアン」みたいなチャンバラ活劇がね。
ストーリーはこんな感じです。遠い戦場から戻ってきた傭兵崩れとその荷物持ちの小僧が港に入った所でイベント発生。イベントで入手したメッセージに従って別の町に行くと、そこでまたイベント発生。この町で二つ三つイベントを消化したところでフラグ立てゲームが始まって、必要なフラグを立て終わると後半突入・・・・。う~む。本当に古き良きドラゴンクエストか幻想水滸伝かって感じですなあ。
隊長とイニゴくんは現在はフラグ立てゲームの大詰めです。フラグを立てながら仲間を集めて後半に雪崩れ込む、その直前ね。とあるとんでも無い場所の奥深く、深夜密かに集合した裏社会の住人たちをナンパしに行っちゃってるところ。
この闇の宴がまたやたら笑えるんですよ。黒いユーモアが満載でね。それで、この辺を訳していて気をつけているのは、彼らは近代人じゃないってことです。17世紀前半ですからね。「自由」も「平等」も「友愛」も無い。無いというとおかしいですが、今日的な意味でのこれらの概念は、彼らの住む世界には存在していないんです。これらの概念が確立されるのは180年後、フランス革命の時ですからね。ということは、フランス革命より後に出てきたマルクス主義も当然知らない。
これは実は重要なんじゃないかと思っています。というのはですね、マルクス主義の基本的な歴史観は「階級闘争」だったんですよ。貴族、市民、労働者といたら、上の階級から順に下の階級に打倒されていくのが人類の歴史なんじゃと。それで最終的には労働者が社会を支配して「プロレタリア独裁」をやるというストーリーを考えていました。
このストーリーを受け入れるならば、隊長もイニゴも彼らの悪友たちも全て一番下の階級にいるわけですから、王様や貴族や大商人というのは、打倒されるべき存在でしかないということになります。みんな「王様なんかイラネーヨ」「大商人は死ね」とか念じて日々を送っているはずです。
ところが実際にはそうではなかった。少なくともマルクス主義が普及する19世紀末以前には、「王様や領主様は必要な存在であるから、きちんとした人が王様や領主様にならないと駄目なんだ(だからあんまり使えない奴は叩き出して別の奴を呼ぶぜ)」という考え方が当たり前だったんですね。面白いですねえ。私の知る限り、一介のド平民、流民みたいなところから出発して一代で天下を取った人ってヨーロッパの歴史には居なかったような気がします。フランス革命まではね。だいたいみなさん貴族豪族の出だった。羽柴秀吉や漢の武帝みたいな人は見当たらない。分を辨えていたんでしょうな。「政治は俺たちの仕事じゃねえぜ」みたいにね。
語り手のイニゴくんには、特に国王陛下に対して尊敬語を使わせているのも、そういった判断からです。もちろんレベルテの旦那もその辺りは抜かりがありませんで、この闇の宴の章では、近代未満の平民たちはいかにもこんな感じだったんだろうなと思わせる、ヒネリの効いた台詞を色々と書いてくれてますよ。なるほどそう来たかという冴えた台詞が目白押しです。
ちなみに私個人がこのシリーズの登場人物の中で唯一、近代人に思えるのは誰だと思いますか? グアダルメディーナ伯爵なんです。その理由は秘密。