戦争をする格差社会が怖いわけ

 この記事は17世紀初頭のスペインに関するお話です。

 「カピタン・アラトリステ」シリーズ翻訳の為、当時のスペイン社会についても色々と調べているのですが、戦争大好きな国家が社会の内部に格差を抱えていると、徴兵制なんか無くても事実上の徴兵制みたいになっちゃうんだなあ、というのがしみじみ理解されました。

 謎の男アラトリステが何故軍人になったのか。それは隠されたままですが、イニゴくんが何故軍人になったのかは明白です。「他に食べていく術が無かったから。」彼だけではありません。実は当時、スペインの軍事力を支えていた人々のほぼ全てが「故郷に生業が無かった」人たちでした。

 当時の軍隊に参加している人々には二種類がありました。そう、貴族階級出身者と平民の出身者です。貴族階級出身者は士官になりました。少尉以上の軍人はだいたい貴族階級出身者です。平民出身の古参兵の叩き上げが望める一番上の階級が軍曹あるいは准尉でした。

 貴族階級出身者で軍人になっていたのは、家そのものが傾いて地代収入や年金では暮らせない没落貴族か、家そのものは安泰だけれども家督と財産と爵位は嫡男(普通は長男)が総取りするので、外に働きに出るしかない次男以下の連中でした。こういった連中はいつの時代も茨の道を歩むのですなあ。かのシャーロック・ホームズも仕事が無くてロンドンに出てきた次男でしたね。

 平民階級出身者で軍人になっていたのは、やはり家業を継承出来ない次男以下の連中。あるいは耕作地が(戦場になるなどで)荒れ果てて農業が続けられなくなったとか、職人修業はしてみたもののギルド内で流通する限られたポスト(親方株)を手にすることが出来なかったとか。そういう人たち。

 つまり、軍隊に参加しないと生活出来ない人たちですね。他に行き場が無かった。あとは893になるか、新大陸で先住民の財産を強奪するかみたいな。

 ここで注目していただきたいのは、上記諸事情の殆どが「予め生業を奪われていた」というケースに該当するってことね。生まれた瞬間に敗北者コースが確定していた。社会の最底辺に行くことが生まれた段階で決まっていて、階層上昇を果たすには軍隊で手柄を上げて出世するか、国外で一旗揚げるかしか無かったわけです。そして、こうした「軍人になるしかないぞ階級」は再生産され続けました。つまり軍人の子は親から引き継ぐべき生業が何も無いので、物心付いたら戦場に出て金目のものを掠め取って生きるしか無く、やがては親と同じく軍人となっていった。イニゴくんがそうじゃないですか。父親は戦場で戦死し、しかし国家による遺族年金なんてものも無いので、物心ついたら即戦場行き。

 実は現在のアメリカ合衆国もそんな感じなんですね。中流階級以上の子弟は普通は軍人になんかならない。なるとすれば士官学校を出て士官になる。現代の戦争で士官以上と下士官以下の兵士の死傷率は笑っちゃうくらい違いますからね。最前線に出る軍人になるのは下層階級の子弟ばかりです。取りあえず食いっぱぐれは無いし、戦場に出て生きて帰れば大学の学費を国が出してくれるので。大学くらい出ていないと中流階級にはなかなかなれない国ですからね(博士課程まで出ると下層階級に逆戻りしがちなのは米国も日本も同じ)。

 以上、徴兵制なんか無くても、生まれた時点で勝ち負けが決まる社会にしておけば兵隊のなり手には不自由しないというお話でした。