ハゲには嬉しい特典です

 先代が武闘派だった話はしましたが、では三代目ガスパール・デ・グスマンは、「アラトリステ」1巻や2巻の時代には何者だったのでしょうか?

 隊長がマドリの夜の闇の中に忽然と姿を現したのが1623年3月17日。この日、例のチャールズくんがマドリにやってきたのです。一方の三代目ですが、彼が中央での栄達のハシゴの一段目に片手をかけたのは1615年でした。8年前。8年前に、王太子となったフェリペ(後の4世)の6人の侍従の一人に選ばれたのが、三代目の栄達の直接のきっかけでした。

 このフェリペが国王に即位するのは1621年の3月31日です。1巻の2年前。そんなつい最近に即位した方だったんすねえ。

 そしてこの年の4月10日。現在のプラド美術館の裏手になりますところのサン・ヘロニモ修道院で、国王陛下臨席の午餐会が開かれました。この席でフェリペ4世は、三代目にこう声をかけます。

オリバーレス伯爵、着帽のままで良いぞ

 これが何を意味するか。つまり国王の前での脱帽と起立を免除される特権がオリバーレス伯爵位に付与されたってことです。そう、国王陛下のお言葉一つで良いんですね。書類とか要らないみたいです。また子爵や男爵がこの特権を与えられることも無かったみたいですね。

 かくしてオリバーレス伯爵位は「大貴族(グランデ)」となる。三代目にしてようやくの到達です。

 それが1巻のわずか3年前。しかも、この後の3年間の間に「寵臣privado」と言う、大臣の中でも国王の代理をすることが出来る特権的なポジションにまで到達してしまった。

 この「寵臣」というのは役職名ではなく、慣習的に用いられる呼称なのですが、これは別に目下の者が呼んでも良いらしいんです。面白いですね。近代国家の創成時にはこういうことが結構あります。当初は慣習であった名称や立場がいつの間にか制度になる。イングランドの「総理大臣Prime Minister」というのも、実際の役職名は「第一大蔵卿First Lord of theTreasury」つまり主席財務大臣だったりします。ロバート・ウォルポールという人がこの役職をやっていた時、彼の権力が極めて大きかったので、「首席大臣Prime Minister」と呼ばれるようになったんすな。これと同じように、スペインでも15世紀前半にアルバロ・デ・ルナという人が国王ファン2世の代理のような形で権力を振るって以降、彼のような立場を得た人物を(本人を含めて)「寵臣」と呼んだ。

 「大貴族」になってから「寵臣」まで3年っすよ。3年。中学生が高校生になるくらいです。閣僚歴の無い官房長官が日本の総理大臣になるのだってもう少しかかったんじゃないか?

 いかに急速に彼が成り上がった人物かということですね。当時34歳。1巻の時点では36歳。イケイケ状態です。