王女マリア・テレサ

 名古屋ボストン美術館で開催されている「ヨーロッパ肖像画とまなざし」展に、我らがフェリペ4世陛下の娘君、マリア・テレサ殿下の肖像画が来ているようです。制作はベラスケス・・・・・の工房。つまりベラスケス先生の弟子ですな。

http://www.nagoya-boston.or.jp/data/a01_01.html

 このマリア・テレサちゃんは1659年に締結されたピレネー条約でフランス王家に嫁ぐことが決まりました。ピレネー条約というのは西仏戦争を集結させるための条約で、ルション地方のスペインからフランスへの割譲、マリア・テレサちゃんの輿入れ、そしてマリア・テレサちゃんが巨額の持参金を持っていく(という言い方で要は戦争の賠償金を巻き上げられた)という内容でした。辛うじてマリア・テレサちゃんのスペイン王家継承権放棄は確保しましたけれども、まあ何ですな、ハプスブルグ朝スペインにとどめをぶっ刺した条約です。

 というのもですね。我らがフェリペ4世陛下は息子カルロス2世に王位を継承させたのですが、このカルロス2世が後継者を残せなかった為に、次の代でスペイン王位はなんとマリア・テレサちゃんがルイ14世との間に産んだ息子・・・の息子、つまり孫のアンジュー公フィリップに行ってしまったのですよ。

 ま、マリア・テレサちゃん自身もお母さんはフランスのブルボン家から嫁いで来たイサベル王妃殿下。2巻でイニゴくんの宗教裁判を見物していらしたあのイサベルちゃん。イニゴくんの彼女のご主人様。ですから、要するに「お互いに仲が悪く隙あらば財産や地位を掠め取ってやろうと狙っている親戚同士」の争いなんですねえ、この時代のヨーロッパの戦争というものは。