「日の沈まない帝国」のバランスシート

 さて。

 カルロス1世がカスティリア語を話す後継者をとりあえずは残したというお話でしたね。彼が引退したのは1656年。きっかけとなったのは「アウグスブルクの宗教和議」だったと言われます。

 「アウグスブルクの宗教和議」。

 なんだそれ? 大学入試の時に憶えて、合格発表で自分の受験番号を見つけた瞬間にみなさんが忘れ去ったタームでございますな。私もだけど。

 これは要するに、神聖ローマ帝国瓦解の一里塚(の一つ)と憶えてください。

 もともと現在のドイツの辺りは、いつまで経っても強力な王権が成立せずに、個々の領主や自治都市が強い独立性を持っていた地域でした(今でもそうですが)。その上に名目的に乗っかっていたのが神聖ローマ皇帝なのですが、神聖ローマ皇帝はもちろん自分の支配力を強めたいと思うに決まっていますし、領主や自治都市はこれに抵抗する。まあ争いのネタは実際のところ何だって良いんですが(だからカトリック側からプロテスタント側への寝返りなんかも平気であった)、16世紀にブームになっていたのは宗教問題でした。ルターやカルヴァンの宗教改革。それくらいは憶えてますでしょ。あれがネタになっていたんですね。

 しかしカール5世はヨーロッパ各地に領土を持っていて、それらの維持(と拡張)にギリギリまで予算を割いていましたから、結局は神聖ローマ帝国内のプロテスタント勢力を潰しきることは出来ませんでした。スペインでは上手く行ったんだけどねえ。それで1555年、「神聖ローマ帝国内ではルター派かカトリックかの選択を認める。選択権は各領主が持つ。」ということを認めざるを得なかった。カルヴァン派は何故か認められなかったです。

 これが「アウグスブルクの宗教和議」。

 カルロス1世、これがよほどのトラウマになったのか、プロテスタント勢力(と神聖ローマ帝国)から遠く離れたカスティリアのユステ僧院で隠遁生活に入ってしまうのです。後を継いだのがフェリペ2世。彼は父、カルロス1世の領土のうち、神聖ローマ帝国以外の(笑)全ての領土と借金を継承しました。神聖ローマ帝国を貰ったのは弟のフェルディナント1世。

 やはり弟よりは息子に、美味しいとこを残したかったんでしょうねえ。

 そんなわけでフェリペ2世の治世が始まるのです。莫大な借金とともに。わかりやすく言えば日産ですよ日産。日産自動車ね。カルロス1世は何の因果かヨーロッパ全土に点々と所領を持っていましたが、これは要するにむやみやたらと色々な分野に手を出して二進も三進も行かなくなった大企業そのものです。収益の柱として「アメリカ大陸の植民地経営」「カスティリアの手工業からの税収」「フランドルからの税収」などはありましたが、2100円の儲け(税収)を出すのに経費2000円(の戦費やリベート)使ってたら、粗利4.7%とかそういう世界に突入しますよね。しかもそれぞれの所領内によって制度が全然違う。だからスケールメリットとか生かせない。でかい商売しているデメリットばかりが膨らんでしまう。

 ちなみにフェリペ2世の時代の財務体質はどんなだったか。

 基本的な資金調達は年利7%固定の国債でやっていました。彼が即位した10年後には、この国債の金利支払いだけで国家予算の60%を越えていました。

 それでも彼はあくなき業務拡大に邁進したので(アホだ)、高利貸しにも手を出しました。どれくらいの高利かというと、聞いて驚け年利49%だ。今の日本なら出資法の上限なんか軽くぶっとばして闇金の世界ですよ。そんな金貸しと取引をしてしまったという時点で企業なら倒産確定ですね。ご安心を。スペインも倒産しました。しかも4回も。1557年。1560年。1575年。1596年。要するに倒産はしても会社のリストラとか何にも考えなかったんですな。カネを貸す方も貸す方というか、倒産は折り込み済みで、スペインが何度倒産しようが利益は確保できる金利設定だったとしか思えません。

 同じカルロスでも、ゴーンとハプスブルグでは出来が全然違うということですな。