よきにはからえ

 ところで皆さん、「アラトリステ」の時代のスペインというのは、一体どんなパーツで出来ていたかご存じですか? スペイン王家たるハプルブルグ家がヨーロッパ各地に所領を持っていたことは何度も書きました。イベリア半島、イタリア半島南半、シチリア島、ブルゴーニュ地方、フランドル。さらに南アメリカ大陸の大半とかヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)。

 こういう雑多な領土をあまり深いことも考えずにひたすら集めていった結果、利益率が非常に悪いというか赤字垂れ流しの自転車操業をやっていたということも書きました。

 それでは、具体的にはどんな制度でこれらの土地を支配していたのか。

 例えば今、連邦という制度がありますね。アメリカ合衆国やドイツが代表的な連邦。かなり強い自治権を持つ州がいくつも集まって、共通の憲法と共通の最高裁判所をその上に乗っけて、通貨発行権や国防権、外交権などを持つ連邦政府が「そういう部分」の行政をやっている。

 しかし、当時のハプスブルグ王朝はそんな整備された組織ではありませんでした。なんといいましょうかね。同じ人が社長をやっている、しかし業務内容も違えば業務提携も資本関係も無い、つまり殆ど無関係の会社がいくつも存在している感じ。これを同君連合といいます。同じ人が王様なだけで、法体系も司法組織も通貨も言葉も違う。もちろん軍隊も別。それぞれが有機的に連携しての政策なんか殆ど何も無く、例えばカスティリア本国には都合が悪くても自分のとこに好都合なら、なんでもやっちゃう、みたいな話になります。場合によっては同じ業務でお互いのシェアを食い合っているポルトガルとカスティリア、みたいなアホなシチュエーションもあった。

 まあ、しょうがないといえばしょうがないですよ。また何かの拍子に王位が別の人に渡る可能性もいっぱいあるし、そうなったら本当に別の国ですからね。

 で、フェリペ4世陛下はこれについてどう思っていたのか。

 何も考えていませんでした。基本的にオリヴァーレス伯爵に丸投げ。本当です。彼が興味を持っていたのはオネーチャンとキリスト教と美術品の収集だけだったですから。その趣味に使うお金が途切れない限りはオリヴァーレス伯爵は何をしても(王様には)怒られなかった。

 これを「寵臣政治」と言います。言うんですが、訳文ではこの言葉は使いませんでした。原著ではそういう単語もちゃんと出てきているのですが、「寵臣政治」の概念はマイナーですし、敢えてそういう単語を使わなくても文脈で表現できますからね。というかこの単語、誰が考えたか知らないけど不細工な訳語だよね。字面見てもなんのことだかわからんもん。