このシリーズを読んでいて、戸惑う方も多いのではないかと思うのが、各国の王室と領土の関係です。例えば当時のスペイン王国は、ヨーロッパの中でもポルトガル、現在のオランダ及びベルギー、イタリア半島南部、シチリア島などを支配していました。
それでは、スペイン王国はどうやってこれらの地域を手に入れたのでしょうか? 自慢の歩兵隊を送り込んで征服したのか? 違うんです。これは特に当時のスペイン王家・・・・ハプスブルグ家の得意技だったのですが、各地の有力な家と婚姻関係を結ぶことで、これらの家の領地を吸収していったのですね。もちろん所領を継承する際に紛争になることもありましたが、そこは自慢の軍事力が物を言うわけです。
それでは、そういった言わば落下傘で降りてきたような支配者を、領民はどう思っていたのでしょうか? どうも、あまり気にしていなかったのではないかと言われています。これについては上手い言い方がありまして「ヨーロッパの王様というのはバーの雇われママのようなもの」なのだそうです。
私はバーというところに出入りした経験がないので詳しいところは知りませんけれども、要するに「きちんとした仕事をしてくれれば、前歴は問わない」ということのようですね。誰だったかなあ。司馬遼太郎さんか堀田善衛さん、どちらかの言い方だったと思うんですけどね。
さて。「スペインというバーのママ」がハプスブルグ家に切り替わったのは1516年のことでした。それ以前のママはトラスタマラ家という家で、この家の人がカスティリア王国とアラゴン王国を別々に持っていたのですが、アラゴン王のフェルナンド2世とカスティリア女王のイサベル1世が結婚した時に王位をまとめて、スペイン王位が誕生します。ところがこのバー「スペイン」のママはフェルナンドとイサベルの夫婦が初代、彼らの娘ファナ(狂女王)が二代目をやって、そこでトラスタマラの家名を継ぐ人材がいなくなってしまったのです。というのは、ファナは神聖ローマ皇帝の息子フィリップ(美男公)と結婚していましたし、ファナ以外のトラスタマラ王家の直系は死に絶えてしまっていたのですよ。なんてこと。
結局、フィリップとファナの息子カール・フォン・ハプスブルグがスペイン王位を継承してスペイン王カルロス1世(しかも神聖ローマ皇帝位も継承してカール5世)となります。バーのママの名字がトラスタマラからハプスブルグになったわけです。それどころかこのカルロス君、スペイン語をしゃべることも出来なかったといいますが、きちんとした仕事をしてくれれば問題無しだったのですねそれでも。
ちなみにカルロス1世、ちゃんと仕事をしたのか? とりあえず彼はスペイン王位以外にも両手に余るくらいの門地を継承していたので、スペイン王としての仕事に専念することは出来ませんでしたし、重税を課したり故郷のフランドル人を重用したりしたので、カスティリアの貴族の反乱などもあったのですが、これはなんとかねじ伏せた。おいおい。いきなり喧嘩かよ。
が、最低限の仕事はしたようです。つまりスペイン生まれスペイン育ちでスペイン語を喋るスペイン王を残した。
これがフェリペ2世。ご存じスペイン王国の最盛期を築き上げた絶対君主です。