3年待てへんか

 酔いも醒めたので続きを書きます。

 「ラス・メニーナス」の中でこちらを見ているベラスケス先生。その胸には例のサンティアゴ騎士団の十字が燦然と輝いておりますね。彼が爵位貴族ではないスペイン人としては望みうるほぼ最高の栄誉の一つ、サンティアゴ騎士団団員となったのは1659年。

 ここであれっと思った方。あなたマークシート系のテスト強そうですね。

 そう。この絵が完成したのは1656年。彼がサンティアゴ騎士団団員になる3年前です。

 なななななんと大胆な! ベラスケス先生ったら、自分を勝手にサンティアゴ騎士団団員にしたのか?

 いくらなんでもそんなわきゃないですね。誰かがいつの間にかサンティアゴ騎士団の十字を描き足したんですよ。でも誰が? 犯人は? 

 犯人も決まっています。畏れ多くもフェリペ四世陛下の寵臣中の寵臣にして宮廷画家の最高峰であるベラスケスが描いた、王女殿下の絵に落書きをして、首と胴体が分割されないままな人物は一人しかおりません。フェリペ四世陛下ご自身です。

 つまりこういうことです。フェリペ四世陛下は1623年、つまり1巻の時点でベラスケスを国内最高の画家として評価し、数年後には、彼の描いたもの以外の自分の肖像画を全て撤去させてしまったほどでした。しかも彼は国王の身の回りを差配する官吏としても極めて有能で、最終的には最高のポストである王宮配室長にまでなった。

 しかし、そこまでフェリペ四世陛下に可愛がられており、しかもサンティアゴ騎士団団員の任命権はフェリペ四世陛下にあったにもかかわらず、ベラスケスをサンティアゴ騎士団団員にすることは非常に難しかったのですよ。何故ならばベラスケスはコンベルソの家系でしたから。

 ようやく彼がサンティアゴ騎士団団員となったのは、その最晩年のことでした。彼は1660年にはこの世を去っていますからね。フェリペ四世が「ラス・メニーナス」にサンティアゴ騎士団の十字を描き足したのも、ベラスケスへのせめてもの償いのつもりだったのかもしれません。

 え? コンベルソって何かって? それはもう、2巻を読んでいただくしかないですな。