その頃日本では

 今日は4巻5章を上げて送稿しました。いやあ、1巻を5倍パワーアップしたみたいな巻で面白いっす。

 さて、この4巻で隊長が暗躍するセビージャの町ですけれども、年に一度、ヌエバ・エスパーニャつまり中南米地域から巨大ガレオン船団が到着して荷下ろしするのが慣例でした。ですけれども、この船団、持ってくるのはアメリカ大陸産の品物だけじゃなかったんですね。

 さらに何を持ってきたのか。南極のペンギン? いやそうじゃなくて、アメリカ大陸のその先ですよ。フィリピンは1570年代にはだいたいスペインの支配下に入ってましたからね。そのスペイン人はどこをどうやって来ていたのか。アフリカ回りなんてめんどくさいことはしませんでした。今のメキシコ、アカプルコから船出して沖に出れば、北赤道海流と偏西風がちゃちゃっとマニラまで船を連れて行ってくれた。帰る時は北赤道海流にもう一度乗れば、これはそのまま北に向きを変えて黒潮になり、三陸沖から北太平洋海流となって北米大陸まで帰りのベルトコンベアーです。

 はっきり言って、ポリネシア人のハワイ・タヒチ間航海より遙かに簡単でした。常に追い風・追い潮だし、的はでかいし。

 そんな訳で、隊長の青春のセビージャにもマニラ経由で中国の品々が流れ込んでいたんですな。日本の海禁政策が始まったのが1616年だから、隊長が33歳頃のことでした。イニゴくん7歳。

 ところで、実はイエズス会は長崎を城塞都市にしてキリスト教の牙城とするつもりだった、という説があります。割とまともな研究者が最近発表した説だったと思いますが、今ちょっとソースを見つけられません(もうすぐ夕食の準備しないといかんし)。1596年のサン・フェリペ号遭難事件(スペインのガレオン船が四国に漂着した事件)で、この船の乗組員が「キリスト教の布教とスペインの植民地獲得は表裏一体の事業である」というようなことを豊臣秀吉に話してしまったのが、秀吉によるキリスト教弾圧の大きなきっかけになったわけでして。それで日本列島から叩き出されたスペインの後釜に座ったのが、3巻で隊長が何度も死ぬ目に遭わされる永遠の宿敵オランダ(笑)。

 なんだ、あっちとこっちで大概歴史繋がっとるやんけ。面白い。こんな面白いものを何でみんな勉強したがらないのか。暗記か。まあ世界史なんてもんは年表持ち込み可で試験すれば良いと思うんですがね。

 余談はさておき、もしもサン・フェリペ号遭難事件が起こっていなかったとしたら。案外、隊長の最後は長崎城攻防戦で真田十勇士と死闘を演じて、最後は猿飛佐助と差し違えた、とかだったかもしれませんね。ちなみに大坂夏の陣は1615年。隊長32歳。男盛りです。