なんでも、著者であるレベルテの旦那は、アラトリステが「政治的正当性」に反するキャラなんで、それが映画でどう表現されるのか結構心配だったのだそうです。
実はわたし、O内から「カピタン・アラトリステ」をやるんで手伝ってくれと言われた時には、日本で言うライトノベルのような本だと思っていたんですね。新書サイズで出ている時代劇とか仮想戦記もののイメージ。あるいは佐藤賢一さんや田中芳樹さんが書かれるような世界史エンターテインメント。
実際、1巻はほぼその線でまとまっていたのですが、2巻、3巻と進むと、これはどうも様子がおかしいことに気づきました。レベルテの旦那は「カピタン・アラトリステ」の物語に非常に強い批評性を、しかも巧妙に入れ込んでいるんです。2巻で展開された魔術社会・密告社会批判にしろ、3巻で展開された戦争賛美者批判や貧困と戦争の関わりについての問題提起にしろ、多少の教養がある人物ならば、すぐにいくつかの現代的な事例を想起することが出来るものです。しかも、それがエンターテインメントと両立している。
やるな、という感じです。野谷文昭先生はレベルテ文学を「やや緻密さに欠ける」と評しておられましたが、いやいやここまでやれれば充分ですよ。
レベルテの旦那はラノベ作家じゃなかった。ジャーナリストとして彼がどんな仕事をしたのかは知りませんが、きっとジャーナリストの名に値するクオリティの仕事をしていたことでしょう。日本ですと、どう見てもただのライター、あなた本や論文をまったく読んでいないでしょみたいな方でも気軽にジャーナリストを名乗っておられますが、レベルテの旦那はそのレベルの書き手では無かったようです。失礼しました。
ところで「政治的正当性」とはどんなものか。これは私の理解においては、マイノリティ研究の文脈から出てきたもので、特にこういった文章表現の分野では、「表現そのものに差別が潜んでいる」表現の告発と是正という形で展開してきました。
例えばそうですねえ。現在の日本ですと、労働問題や年金問題の議論において「専業主婦」という表現が頻出します。しかし、実は「専業主夫」すなわち国民年金の第三号被保険者である男性も十万人単位で存在している。しかも、この「専業主夫」は「専業主婦」に較べて年金の取り扱いで極めて扱いが悪く、「専業主婦」であれば何歳からでも受け取れる遺族年金や労災年金は「専業主夫」の場合、55歳以上でないと受け取れなかったりしますし、母子家庭には母親の収入額不問で支給される児童扶養手当も、父子家庭は問答無用で対象外。
酷い。
しかも、年金問題や労働問題の議論が「専業主婦」という言葉を用いて議論される為に、「専業主夫」だけが抱えるこうした問題点は隠蔽されたままになってしまう。
こういうのはアンフェアだから、「専業主夫・主婦」というように平等な表記をすべきだというのが、文章表現の分野における「政治的正当性」の、もっとも分かりやすい表出です。
それで「カピタン・アラトリステ」シリーズに戻りますと、語り手であるイニゴくんはプロテスタントを基本的に鬼畜扱いしていますし、隊長はカリダという愛人がいながら、結構行く先々で女性をつまみ食いして歩いている。いざ戦闘が始まれば情け容赦なく敵を殺戮する(覚悟しておいていただきたいのですが、3巻は隊長のバイオレンス全開ですからね)。
こういうお話は、当然「政治的正当性」コードに引っかかるわけですよ。しかし、そこで隊長を品行方正な現代人にしてしまっては、この物語の魅力の大半は失われてしまう。どうやら映画のモーテン先生はその辺をきちんと理解して、善悪混沌としたヒーローである隊長を上手に演じられたようで、私もほっとしております。