「カピタン・アラトリステ」シリーズ2巻の発売はもう間もなくですが、翻訳チームの作業は3巻、4巻に入っています。
3巻は既にお伝えしているように、戦闘戦闘また戦闘のバイオレンス巨編。攻城戦、塹壕戦、野戦、奇襲、威力偵察といった具合に、現実の戦場で起こりうる戦闘のパターンがこれでもかと登場します。レベルテの旦那、ミリタリーマニアです。
私思うのですが、17世紀初頭のヨーロッパの戦場をここまで緻密に描写した小説が日本語になるのは、実は初めてなんじゃないでしょうか。呆れたものです。レベルテの旦那は、当時の戦術を非常に的確に描ききっておりまして、まさに「見てきたような嘘」満載。これについては、従来の西洋チャンバラ系ライトノベルの大半とは比較にもならないです。
例えばですね。多くの西洋チャンバラ系ライトノベルでは、英雄豪傑が愛馬に跨って敵陣に躍り込み、斬って斬って斬り尽くすというシーンが良く見られます。重装騎兵による騎兵突撃ですね。もちろん「カピタン・アラトリステ」でも同様のシーンは出てきます。ですけれども、著者はちゃんと騎兵突撃とはいかなるものかを知って書いているので、騎兵突撃があったからといってそれで勝敗が決するという話にはならない。作業をしていても、思わずうなってしまいます。
とはいえ、戦場のありようについてあまりご存じ無い方が読まれると、あのマニアックな戦闘描写の妙がわかっていただけないと思うので、少し解説しておきたいと思います。
まず抑えておきたいのは、兵科という概念です。兵隊さんの種類ですね。これは大まかに言って以下のようにわけられます。
・歩兵(徒歩で戦う兵士)
・騎兵(馬に乗って戦う兵士)
・砲兵(大砲を扱うのが専門の兵士)
・工兵(土木作業を専門にする兵士)
このうち工兵は戦闘に参加しませんから、戦闘時に問題となるのは最初の三つですね。
憶えておいていただきたいのは、この三つの兵科はどれが一番強いというものでも無いということ。
例えば彼我の距離が離れている場合、砲兵は歩兵に対しても騎兵に対しても一定の威力を発揮します。しかし、もしも歩兵が塹壕に立て籠もっていれば砲撃はほとんど役に立ちませんし、騎兵が機動力を生かして砲兵陣地に突撃して来れば、砲兵は鎧袖一触で皆殺しにされてしまいます。また騎兵突撃は隊列を組んでいない歩兵には極めて有効な攻撃になりますが、いざ歩兵が隊列を組んで正面から騎兵突撃を受け止めれば、いかな重装騎兵といえども殆ど手も足も出ないままに殺戮されてしまいます。どんな英雄豪傑でも、歩兵の密集隊形に正面から突っ込めば、カップラーメンが出来上がる間もなく首を掻き切られて南無阿弥陀仏ということなのです。
このレベルの兵科の書き分けをしてあるライトノベルもあまり無いような気がしますが、さらに旦那は凝ったことをしています。ちゃんと軽騎兵と重装騎兵を書き分けたりしてるんです。
軽騎兵というのは、鎧をつけていない騎兵のことです。短弓やアルカブス銃(小型の火縄銃)など、遠距離攻撃が出来る武器が主力装備になています。彼らの役目は、機動力を生かして敵の歩兵の側面や背後に回り込み、遠距離攻撃によって(接触すれば歩兵の敵ではありませんから)陣形を崩すことです。あるいは敵の砲兵に遠距離攻撃をかけて、砲兵の活動を妨害する。遠距離攻撃が主ですから、軽騎兵だけで敵を壊滅させることは出来ません。あくまでも他の兵科の支援が仕事です。一方の重装騎兵というのは全身を装甲で覆った騎兵のことで、長槍を構えて敵陣に突撃をかけるのが仕事です。既に述べたように、重装騎兵の騎兵突撃が有効なのは歩兵の陣形が崩れている時だけなので、他の兵科が歩兵の陣形を崩しておいてくれない限り、重装騎兵の出番はありません。
隊長は軽騎兵とも戦いますし、重装騎兵とも戦います。
さて、以上で見たように、それぞれの兵科には得手不得手がありまして、この兵科があればそれで無敵ということは無いのですね。
隊長が加わっていた当時のスペイン軍は、精強無比の歩兵によってヨーロッパに覇を唱えておりました。当時のスペイン人はとにかく意固地な連中で、しかも戦争経験が豊富ですから、歩兵同士でどつき合いをしている限り、他国の軍勢に勝ち目は無かったのです。スペインのテルシオ隊形が歴史から姿を消したのは、各国が砲兵・騎兵・歩兵という兵科複合による戦術をマスターして後のことでした。