4巻の裏筋の裏筋

 4巻はもうあとは詩の部分を終わらせちゃうだけになりました。3巻までの詩の部分が、翻訳としてイマイチだという指摘をいただいておりますので、なんとか御納得いただけるようなものに出来るよう、工夫しております。

 さて。4巻。表の筋は冒険大活劇です。愛と勇気。笑いと涙。恋と裏切り。儲かった人と損こいた人。全部出てきます。

 では裏筋はといえば、以前に書きました通りロジスティクス、物流のお話です。でもそれだけじゃない。もう一つ大きなテーマが仕込んであるような気がしました。それは何かと申しますと、「国民国家」の問題です。

 「国民国家」。英語ではnation stateと書きます。手元の社会学事典によれば「国家が民族的まとまりをもつ地域に即して建設されるとき、それを国民国家と呼ぶ」とあります・・・が、これはあまり良い表現じゃないですね。それはむしろ民族国家。民族と国家が一致している国家のこと。だってそうでしょう。アメリカ合衆国のどこに民族的まとまりをもつ地域があるのかと申し上げるしかない。むしろ、国家がある領域内に住んでいる人々を全て「国民」として統合している(あるいはしようとしている)時、そういった国を指して国民国家と呼ぶのだと思いますな。

 解りづらいですね。つまりこういうことです。ある国家がある。その国家は自分の領土内に住んでいる人間を基本的には自分の国の国民と認識して、そのように扱う。住民登録してパスポートを発行して税金を取る。そして、国民には「うちの国の人間として」の自覚を持ち、それに相応しい振る舞いをするように求める。

 軽いところでは「国民はこの国家を愛しなさい」と要求する。きついとこへ行くと「国民は国家の為に死になさい」と要求する。これってそんなに昔からあった話じゃないんです。だって細かく分割された領土が代替わりの度に「あんた誰?」みたいな遠くの偉い人に相続されたりするわけですから。以前に書きましたが、国家権力の頂点にいる王様がバーの雇われママというか、雇われ社長みたいなもんだった。もっと大事だったのはキリスト教徒であるかどうかとか、さらに遡ればローマ帝国の市民であるかどうかとか。

 要するに国というものがそんなに重いもんじゃなかったんですねえ。

 そのローマ帝国が壊れて、キリスト教もカトリックとプロテスタントに分裂してバトルロイヤルをやっていたのが隊長の時代です。ようやく国民国家的なものが生まれようとしている時代。

 で、隊長はどうだったかというと、ご存じのように国家にも王様にもキリスト教にもさほど拘っていなかった。ざけんじゃねえよ、くらい思っていた。にもかかわらず、1巻でも3巻でも反乱には加わろうとしなかった。その理由は何故だったのかということが、いよいよ4巻の最後でひっそりと語られます。

 詳しい話はネタバレになるので書けませんし、また別の解釈もあるとは思うのですが、個人的にはチャーチルが民主主義について語った有名な言葉を本歌にして、国民国家と封建制の違いを隊長とフェリペ4世の関係を例にとって語っている。そんな気がしました。