かつて、ここ(東京都)に泉あり

20年近く前に「「総合的な学習」としてのダンス学習の実践報告~都立大田ろう学校における事例~」という研究ノートを書いたことがあります。

大田ろう学校はとうの昔に都立中央ろう学校に統合されて廃止、文化祭の名称「三つ葉祭」のみが中央ろう学校の文化祭の名称として継承されています。

当時は日本におけるデフダンスの創成期で、誰もノウハウを持っていませんでした。youtubeどころかHDレコーダーも常時接続インターネット回線もスマホも無い時代。

ガラケーとテレホーダイとS-VHSの時代。

そんな時代に大田ろう学校の生徒たちは、深夜のダンス番組をVHSに録画しては学校の視聴覚室で再生し、見よう見まねで振り付けをコピーし、聞こえない耳でBGMと同期する方法を考え、作品を作っていました。部活そのものも生徒たちが学校と交渉して、顧問をしてくれる教員を見つけて立ち上げた。

その作品が認められて、全国高等学校総合文化祭にも出ました。マイケル・ジャクソンのbeat itだったかな。あとB'zのReal Thing Shakes。

その2年か3年後くらいにようやく、高木さんなど日本でもプロ活動をするデフダンサーが出てきて、聞こえない人向けのダンス教室をやるようになって、デフダンスの技法が広まっていきました。

そんで今。

ちらっと聞いたところによると、今のろう学校の生徒たちはそれはそれはダンスが上手いんだそうです。youtubeもあれば補聴器も進化してるし、デフダンスの先輩方もプロを含めていっぱいいらっしゃるし。

新しいものを生み出したいという情熱をもった人たちがいて、不器用ながらも何かを作っては発表するということを続けていって、それをサポートする人が、学校の中にもいて、今に繋がっていったということです。

今でも思い出します。多摩川の土手に面した、西日が差し込むあのホコリっぽい古ぼけた視聴覚室の光景。今のデフダンスに比べればてんで稚拙なんでしょうが、あれこそ未来が生まれ出ずる小さな泉。生徒と教師の情熱が掘った小さな井戸。

プログラミング教育は昨今、国家をあげての大号令がかかっていますが、井戸を掘ろうとする子供たちにスコップをそっと差し出す教師が足りていない気がします。