気に食わない歌にはアンサーソングを作るのが正しい対策

「あたしおかあさんだから」

歌詞見たけど・・・・別になあ、こういうおかあさんが居たって良いし、自分が違うなら違えば良いし。好きに生きれば良いし、他におかあさんの歌が欲しいなら自分で作るなり発注するなりすれば良いし。

こんな歌があっても無くてもあなたの人生何も変わらないでしょう。実際あなたの人生はこれと違うんでしょう? じゃあ何が問題なの? 

テレビで流れるのがイヤなら消せば良い。

別の母親像の表象が足りないんなら増やせばよろしい。

特定の母親像の理想化を憂うなら批判するべきはその母親像を理想化する仕組みそのものを狙うべきで、一つひとつの表象は「表現の自由」「思想信条の自由」で守られているのだから、そこに弾を撃ち込んでも無駄撃ちだ。

問題なのは多様性の不足なのだから、多様性を増やすためにオルタナティブな母親像表象をどんどん増やすのが真っ当であって、たまたま目についたムカつく表象を集団リンチにかけても逆にこの人達コワいって思われるだけだ。

何度も言うが、そういう行動は日本国憲法の考え方と合わない。北朝鮮やナチス・ドイツや軍国日本みたいだ。やり方を間違えてはいけない。目的が政治的に正しければ手段は政治的に正しくなくても良いわけがあるか。いや無い。

ムカつくなら素直に「私はムカつく!」と言えば良い。それは自由だ。どんどんやれ。だが私憤や私怨を公憤に偽装すべきではない。自分が嫌いな表象を作る作家の人格だの生い立ちだのまとめて侮辱するのは下衆で卑怯者だ。単に嫌いと言えば良い。ちなみに私は村上春樹の作品が嫌いだが彼の人間性が低劣とは言わないしそう思ってもいない。ジャズ喫茶のオヤジから世界の村上に出世していっぱい外貨稼いで納税してくれてそこは本当にもう心から感謝している。尊敬もしている。だからどんどん新作を書いて売って売ってうりまくって納税しまくって欲しい。

だいすけお兄さんの歌詞を書いた人もいっぱい稼いでいっぱい納税してくれたらそれで十分。ありがとう。

今後、日本で発表されるポピュラー音楽の歌詞は任意団体である「日本ポピュラー音楽倫理審査委員会」(略してポピュ倫)の審査を通らないとテレビやラジオでは流せない、なんて社会はぞっとしないな。女性学の研究者と母親代表5人からなるフェミニズム審査小委員会の認証を通ると最大☆☆☆☆☆の「フェミ認」ステッカーが発行されて、ウェブサイトとCDケースに表示出来るとか。いや、やれば良いけど。PMRCみたいに。