日本の偉いおじさんたちがデザイン音痴だから、大先生に仕事が集中するのではないか仮説

博報堂出身の大先生のお弟子さんが盗作したデザインが炎上している件。

売れっ子の大先生に発注が殺到すれば、大先生だけでは捌ききれずにアシスタントが代作するでしょうし、アシスタントの代作が増えていけば、いつかは大先生による品質管理の限界を超えて、剽窃スレスレ盗作スレスレのものが増えるでしょうし、最後は一線を超えたものが検品をすり抜けて表に出ちゃうでしょう。

ただこれ、大先生だけが悪いとも思わないんですよ私は。大先生の名前を有難がって大先生に発注したがる傾向、無いですか? 

オートクチュールで作れる規模を超えればプレタポルテになり、最後はODMです。大先生が超人であっても、殺到する依頼を裁くにはニンクで考えて大先生一人でやってるわけが無いということは、わかってる人はわかってたでしょう。でも大先生のお名前が付けば単価上がるから、大先生に依頼しちゃったりしてませんでしたか?

つまりやはりあれだ。発注する側が自分の審美眼を信用してないから、大先生の作品なら何か言われても責任は無いよねということなんだと思うのです。

日本の偉いおじさんたち、もっとせっせと美術館や博物館やギャラリーに足を運んで、アートをいっぱい見て、お金出してカタログや作品買って、目を肥やさないと、これからも大先生のお名前頼みが続いちゃいますよ。

あとね、自分の創作への誇りを持てる環境でなければ、他人の創作物への敬意も忘れがちになりそうです。パクリ剽窃と引用参照着想との根源的な違いは、元歌へのリスペクトの有無が生み出すものでしょう。

私は設計から始まるオリジナルバッグのオートクチュール制作はオーダー山積みで、納品まで数ヶ月待ち状態になってしまっておりますが、それは一つ一つ、弊社のロゴマークを付けて世に出して恥ずかしくないレベルまでデザインしているからです。そういうものを月に10も20も生み出すなんて、無理。だから大先生への発注の集中は誰も幸せにならんと思うのです。