暗号通貨は美を生まない芸術のようなものだと思う

元元、暗号通貨は単一の発行主体にコントロールを依存しないことで、国境を超えた送金が便利だとか、発行主体の政策に相場を左右されないというメリットがある通貨のはずだったけれど、今の暗号通貨のあり方は、ドルや円やユーロにいくらで換金出来るかという市場価格の高さと上げ相場の異常な速度が資金流入の根拠になっている。

逆に相場が乱高下しすぎるから、決済手段としてはもはや使えない。

つまり本来考えられていた使用価値が無くなり、現金価格相場が値段を担保している。

そういう意味で暗号通貨の現状は、供給が限られたアートピースに近い。

高名な作家の作品は高値で取引されるが、それは多くの場合は資産として利回りが良いからでしかない。また、将来上がるかもという新進作家の作品もお金が余っていると資金が流入して一気に値上がりする。

YBAや近年の中国作家の現代アートはそうして値上がりしていった。

暗号通貨もそういうものと理解して投資するならまあ良いんじゃないのとは思うが、アートピースの場合は付随して美的価値というものが創出され、良いものは保存される。

暗号通貨は美的価値の無いアート相場のようなものとすると、カネそのものの価値を信じられる人だけが手を出すべきなのではなかろうか。