「数学が出来る」
というのは、謎めいたフレーズです。
教科学習というカテゴリーの一要素として数学を捉えるならば、「世界史が出来る」「古文が出来る」「物理が出来る」などと同様、入学試験をどこかのレベルでクリア出来る教科学力がありますよという意味でしょう。
でも、それはどこかの大学に入学するという目的から導出された条件をある時点でクリアしました、ということでしかありません。
ではその先?
社会学の先生は「自分は社会学が出来る」とは言いません。
文学の先生は「自分は文学が出来る」とは言いません。
研究領域としての社会学や文学は途轍もなく広大なので(広島大学のことではない)、その全てにおいてプロフェッショナルになることは不可能です。だから、「家族社会学を研究しています」「近世スペインの詩が専門です」というような言い方になる。
さらにその先? ビジネスとして対価を取れるサービスの一部で使うことが出来るということ?
例えば英語のプロであればあるほど「私は英語が出来る」とは言いません。翻訳も通訳も、単価が高い仕事=専門性が高い仕事ですから、脳外科とか機械工学とか無機化学というように、自分の専門領域を絞り、この分野の英語ならこのレベルで出来ますという言い方をするようになります。
このように考えると、「数学が出来る」というのは中等教育以前で試験の点数が相対的に周囲より良かったです、程度の言明にしかならないのではないかと推測出来ます。
更にその内容も、自動車運転免許のように、これが出来たら合格というものではなく、あくまでも相対的なものであり、またわざわざ点差が付くような問題に曝露した上での結果を見ているだけなので、極めて曖昧な、つまり実際には何を言っているのか誰にもわからないようなフレーズと言えます。
そこで私は「数学が出来る」という日本語の言明を「岩波基礎数学選書全16巻の内容は全て理解している」という意味でこれからは使おうではないかとご提案致します。
岩波の回し者ではございません。