創造と創作は贈与の連環の中から生まれるということを、サノケンバッシングも佐野研二郎氏も理解していないのかもしれない。

面白い人ですね。
話題になってる涼の漢字に団扇と扇子のコラージュ、どっちが思いついたの早かったかなんて、事務所の資料調べてタイムスタンプで「うちのが早かった」って証拠発表したら、それで終わりだと思うのね。
そんなん会見しなくたって、論理的な文章で反論を自社ウェブサイトにアップしたら済むんです。
それをやらずに「確証も無いのに報道するなら法的措置も・・・」なんて言っちゃあいけないよ。
言論の自由ってそんな甘いもんじゃないんだよ。
あんたも大学教員なら、事実と論理で勝負したら良いのよ。
あるいは
「そもそも、思想・アイデアそのものが著作権法に基づき保護されるものではないことは、著作権制度の国際的かつ基本的な原則」
と主張するなら、堂々と「アイデアは拝借したが成果物は別物ですよ」と言えば良いのよ。
創造行為の中で、先行する作品やアイデアの本歌取りや変形や統合なんて、やるに決まってるんだもん。
この作品は、これとこれとこれからインスパイアされましたって言えば良いじゃん。
弊社のバッグデザインでも、agnate 2014の主気室隠しマグネットは奥野徹也さんがご自身の既存の作品を出してきて提案してくださったものですし、背面のキャリーカート用ベルトはうちにあったキャプテンスタッグの安物のビジネスバッグのその部分が便利だったので、応用しました。たまにやる、革でマグホックを浮かせたデザインも既存製品のアイデア。
だから前々から言ってますが、agnate 2014のデザインも利用してもらって構いません。出来ればもっと良い物作ってくれ。そしたら今度は弊社がそのアイデアいただくから。
創造・創作という人類の営みの本質の一つである「贈与の連環」について、彼が理解し敬意を払いその共同体の一員として生きていたら、こんなウィッカーマン状態にはならなかったんです。
俺のオリジナル、俺が出発点という虚構に囚われてたのではないかな。
要するに人文学の学びが足らなかったという、最近流行らせてるオチでまとめたいと思います。