赤坂憲雄『婆のいざない―地域学へ』(柏書房・2010)を昨日から読んでいます。
赤坂さんが東北での長年の調査経験をもとに語る「いくつもの日本」という考え方は、私も非常に共感するところですし、3年ゼミでも留学生たちの存在を意識しながら、日本列島史を複数の文化圏、民族集団、国家の相互交渉と征服の歴史として講義した回がありました。
日本国は単一民族による国家ではない、とは主にアイヌの存在を念頭に主張されることが多い命題ですが、古代海洋民の活動や東北、アイヌモイシリ島での諸民族の興亡、そして地域によって大きく異なる宗教や習俗を考えると、今現在も見えやすいアイヌであるとか南西諸島の人々以外にも、本州島の中に限ってさえ幾つもの文化、民族、歴史が存在した(している)だろうというのが私の実感です。
今年度の3年ゼミは「マイノリティ」というテーマでやっていますが、アイヌや沖縄、特別在留許可者、日系南米人などのわかりやすい、エキゾチックなテーマに絞り込まずに自由にフィールドを学生たちに考えさせたのも、一つには、そうしたエキゾチックな社会集団にばかり目を向けることで、マイノリティという問題の本質から、逆に遠ざかってしまうのではないかと思ったからでした。
例えば明石書店から出ている『講座世界の先住民族 ファースト・ピープルズの現在』というシリーズがあるのですが、失礼ながら読んでいても薄いなあ、浅いなあと思ってしまうわけです。何故かといえば、基本的に書いているのは日本のアカデミズムの中で功なり名を遂げた(要は「上がった」)偉い先生方で、書かれているのは世界各地のファーストピープルズ。そういう構図の問題点を論じる章もちゃんと収録されていて本当に抜かりないわけですが、結局、他人事なんですよ。予定調和の世界だと思う。
一方、瓢箪から駒のように出てきた3年ゼミの伊豆大島調査プロジェクトは、「いくつもの日本」という問題設定に繋がりうるテーマだと思います。つまり、ゼミの8割を占める日本人学生たちに、「自分たちは誰なのか? 自分たちはどこから来たのか?」という問いを持たせることができる。本州島で生まれ育った学生たちが、このゼミの学習の中でそんな問いまで降りていくことが出来るとしたら、きちんと整理されパッケージ化されたメインストリームのマイノリティ・スタディーズを通り一遍勉強するよりも、これは遙かに価値がある。
どこまで彼女ら彼らの世界観を揺さぶることが出来るのか、その動揺の中から、noisyであったりemotionalであったりするのではない(博士課程の頃、身近なところに、二言目には琉球弧の人々が差別され抑圧されてきた近現代史がどうのと語り出すnoisyでemotionalな人物がいて、辟易しました)logicalでsimpleで、なおかつ多くのコミュニティに受け入れられる価値の芽を育てることが出来るのか。
上手くいくかどうかはわかりませんが、ともかくやってみたい。わくわくします。