昨日は自転車仲間のS君と一緒に上野原市の権現山の林道をMTBで下って参りました。S君は今年4月に日大工学部を卒業して某大手オーディオ機器メーカーにエンジニアとして就職した若者で、年は16とか離れているのですが、実は今私が乗っているMTB(KONA Explosif)の前サスはS君にただで貰った物件・・・・。そういう恩はともかく、とても信頼出来る友人の一人です。「ゆとり世代」なんてバカにする人も多いですが、私が知る彼の世代の若者たちの多くは真面目だし善良だし、私は好きですね。
さて。上野原市役所に集合した後、彼が最近買ったというNA8ロードスターにMTB2台を積んで(笑)、和見林道へ。峠のピークでMTBを下ろし、そこから登山道を1時間がかりでMTBを押し上げていくわけです。これがきつかった。心拍数は一気に160台。日本でMTBが流行らない理由はこれですね。走るとこが無いか、あったとしてもアプローチが異常にめんどくさいか、きついか、その両方か。町を出たらシングルトラックが1000キロ続いている・・・みたいなアメリカとはちょっと較差がありすぎでしょう。
権現山山頂下の祠でお参りを済ませてから、尾根沿いについているシングルトラックを安全な速度で下ります。無茶をして沢に落ちたら命の危険さえありますからね。衛星写真の画像からもわかりますが、この尾根筋の植生は、杉の植林がおこなわれているエリアと、クヌギやカエデ、ブナなどの落葉広葉樹が生えているエリアにきっちり分かれています。で、ヤバいのは広葉樹ゾーン。斜面の傾斜はきついし、道は細いし、九十九折りの切り返しの連続だし、トラックは落ち葉で埋まっていてグリップしないし、挙げ句の果てには紅葉が美しくて気を取られるし(笑)
私はちゃんと停車してから紅葉を楽しみましたけど、S君は走りながら紅葉に見とれて落車を1回やらかしたそうです。
逆に杉ゾーンは楽ちんでした。傾斜はゆるく、道は広くまっすぐ。むしろ、そういうエリアだからこそ杉の植林がやりやすかったのかもしれませんね。興味深かったのは、2箇所ほど馬頭観音の石碑があったこと。通常、馬頭観音があればその周辺で馬が死んだか、そうでないにしてもそのルートが荷馬の通り道になっていたことの確証です。権現山は上野原市の中心部の北西方面にあり、西側には大月から松姫峠を越えて小菅村に向かうルート、北側は小菅村から鶴峠を越えて棡原に向かうルート、東側は上野原から棡原経由で甲武トンネル越え檜原村行きルート(全部ロードレーサーで走ったことありました)、南側はご存じ甲州街道。和見や用竹の集落から権現山に馬を連れて入ったとして、行き先は現在の登山道と同じく、浅川峠経由の大月市七保町浅川集落あたりだったのでしょうか? あるいは山から薪を切り出していたのかもしれませんね。実際、権現山山頂付近の西側斜面は株立ちのクヌギが沢山ありましたので、これは明らかに数十年前に薪用に伐採されたエリアだよねとS君と話し合っていました。
私たちが山に入ったのは13時くらいだったので、MTBに乗り始めたのは14時。トレッカーは1人すれ違っただけで、タイヤが落ち葉を踏む音と熊鈴の音だけが森の中に響いていました。何百年も前に、馬を連れてこの山道を歩いた人たちは、どんな気分でいたのでしょうか。当時はバリバリにニホンオオカミもいましたから、下手をすれば馬もろともオオカミさんたちの食べ物になってしまうかもしれない。さぞかし怖かったでしょう。そう考えると、オオカミが絶滅したというのは、MTBライディングに話を限定すればあながち悪い話とも言い切れないんだよね~、なんてS君としみじみ話し合ったのでした。