コンビニが存在しない自治体

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 檜原村に行ってきました。コテージを借りて妻子とともに避暑です。

 檜原村ってご存知ですか? 東京都の西のはずれにあるんです。村ですよ。平成の大合併の暴風雨を経てもなお村のままで生き延びた東京都内の自治体。小笠原村なんてのもありますが、檜原村は本州島の中にありますからね。首都高と中央道、圏央道を使えば新宿あたりからも1時間半で行けます(外苑IC→高井戸IC→八王子IC→あきる野IC→檜原街道→檜原村)。

 私もこれまでは檜原村のすぐ手前、かの浦河治造エカシもしばらく住んでおられたという養沢谷のところまでしか行ったことがありませんでした。というのも、ここから檜原村役場前までの檜原街道は自転車で走るにはあまりに危険なんです。檜原村役場の少し先にある採石場へと向かうダンプカーがひっきりなしに通る上に、歩道も路肩も無いも同然ですから。まあ、行っちゃうローディーも沢山いますけど、私は勘弁願いたいです。無駄なリスク。

 さてその檜原村。自転車でほぼ一周してきましたけど、おどろいたのはコンビニが一軒も無いってこと。コンビニどころかスーパーも無いんです。ちょっとした個人商店が数軒。それで全部。あきる野市のスーパーまで車で20分くらいで出られますから、スーパーが成立しないんでしょうね。

 不便といえば不便ですよ。だって檜原村って殆ど平地が無いですから、野菜も穀物も作れないんです。もちろん畜産も無理。食料の自給は難しいですね。でもところどころに「兜造り」という立派な古民家が建っていました。何故かって? 林業ですよ。歴史的にもこの辺は江戸への材木供給地でしたからね。江戸の名物に火事が挙げられていることからもわかりますが、江戸時代から昭和中期までは材木屋ってのは無茶苦茶儲かったんです。奥多摩や檜原村で切り出した木を多摩川や秋川に落として、水運で六郷まで運んだ。そこから江戸湾沿いに木場まで廻送していったわけです。多摩川沿いには、そうやって木材を六郷まで運んでいった筏乗りたちが歩いて上流に帰っていった「筏みち」という古道が残ってます。

 しかしそんな栄光の日々も、輸入材の自由化で終わりを告げました。檜原村、今もあらゆるところに杉の木が植わってます。毎年春にはここから大量の杉花粉が供給されちゃうんですねえ。何とかならないのかって? 私たちが輸入材ではなく国産材の家や家具を買うようにならないと駄目でしょうね。日本は世界有数の森林国なのに、世界有数の木材輸入国でもある。これはちょっと止めた方が良いですよ。

 世界には、一度丸裸にしたらもう森には戻らないような土地も沢山あります。ラパ・ヌイもそうですね。一方で日本の山は江戸時代、いや戦前くらいまでは丸裸だったのに、一端放置されたらあっという間にグジャグジャの密林になってしまった。それくらい強烈な再生力がある。そこを放置したまま、東南アジアの脆弱な土壌の熱帯雨林を伐採して輸入するのはいかがなものか。

 そりゃあ国産材は割高ですよ。でも、これから資源の値段はどんどん上がるでしょう。一国で数億という人口の国々が高度成長期に入りましたから。そんな、何倍という値段の差じゃないです。だったら、少しでもそういうもの買っていかないと。

 お金は、地元を何度も回れば回るほど良いんです。私も檜原村では割高な食材やビールに景気よくお金払ってきましたよ。同じ東京都民。数十円の差額をケチってジャスコを儲けさすよりは、檜原村の個人商店にお金を落としたいじゃないですか(とか思っても、先方が勝手に割引して安くしてくれちゃうんだよなあ)。

(画像は東京都内でも最凶クラスの激坂の一つ、風張林道の頂上で撮った記念写真です)