柔らかい権力

 はっきり言ってこの1年間はホクレアとアラトリステのことしかやってませんでしたから、半分ボランティアとはいえ大学生の前で先生の振りをする以上は、アタマを研究者モードに復帰させねばなりません。そんなわけで最近の生活パターンはこれ。

起床

トレーニング(自転車で多摩川と坂を合計30キロ弱)

「アラトリステ」の翻訳

夕食後は読書(学術書の)

 本を読むことで後ろの方のレイヤーに押しやられていた学問の知識を前の方に出してくるわけです。最近読んだ本の中で面白いなと思ったのは、青木保さんの『多文化世界』という本。岩波新書ですね。

 その後半で、アメリカの保守系の政治学者であるジョセフ・ナイが提唱した「ソフト・パワー」という概念を批判的に再検討している(これってマズくない? とか言いながらいじっている)のですが、その議論がなかなか示唆に富んでいました。もちろん航海カヌー的に。

 「ソフト・パワー」という言葉は結構日本のマスメディアでも使われていますが、その意味内容は案外きちんと理解されていません。ハリウッド映画のDVDやガンプラを国外に売りまくって金儲け・・・とかいう話ではありませんから、もちろん。

 この言葉を素朴に日本語訳すれば「柔らかい権力」となります。対義語は「ハード・パワー」つまり「固い権力」です。固い権力というのは、軍事力や経済力を背景にした恫喝あるいはその直接的な行使によって他人の意を曲げて自分の希望を通す時の、力のあり方を表現した言葉です。

 例えばですね。ある主体(企業でも国家でも自治体でも良いんですが)がダイコンの在庫を大量に抱えていて、それを売りさばきたいとします。それで道行く人をダイコンでぶん殴って脅して、ダイコンを押しつけたとする。こういうやり方がすなわち固い権力です。

 それでは柔らかい権力とはどういうものか? 恫喝や脅迫ではなくて、自己の魅力を相手に理解させることによって、自分の目的に沿う形で相手を動かす。ダイコンの例で言えば、ダイコンを美味しく調理して試食に供するわけですよ。それで道行く人にダイコンの魅力を理解して貰う。ダイコンが美味しいなと思えば、道行く人はダイコンを欲しがるし、自分はダイコンを売りたい。両者の利害が一致してWIN-WINの関係になる。これが柔らかい権力のあり方です(ジョセフ・ナイの場合は相手をダマして売り込んででもアメリカの利益になればそれで良しという感じなので、批判も多いようですが)。

 勘の良い方なら私の言わんとすることがもう解ったかもしれませんね。そうです。ホクレアやマカリイの活動は、実はソフト・パワーの行使になっているわけですよ。今年行われたミクロネシア・日本航海にしても、あれは対外的にはハワイや先住ハワイアンのコミュニティや「ヴォヤージング・オハナ」の魅力をアピールする絶好の機会ですよね。だからハワイ州観光局も金と人を出した。ハワイの魅力をアピールして、日本人にハワイを消費してもらうためです。ハワイ州観光局はハワイ観光を売りたい、日本人はハワイが買いたくなった。両者の目的は一致しますよね。

 また先住ハワイアンのコミュニティは自分たちの魅力をアピールすることで、自治権獲得や権利回復運動に好意的に接してくれるサポーターを増やせるし、ヴォヤージング・オハナは彼らの活動の価値を対外的にアピールすることで、資金獲得にしろ今後の活動にしろプラスになる。

 横浜でのシンポジウムではこういう話にはなりませんでしたし、越中島でどんな話をしたのか私は知りませんけれども、ここは学ぶべき点なのではないかな。つまり、伝統的な船舶やポリネシア式の帆走カヌーを造ってそれで何かやるのであれば、そういった側面まで含めて見習うべきではないかということです。そういう視点から考えると、海人丸が中国を目指しているというのは注目すべき話でしょう。

 最近は一般ニュースでも流れていますけれども、近年の中国の経済発展は環境面での配慮を後回しにした暴走という一面もあります。ですが、ことは中国の国内に留まりません。中国国内で排出された汚染物質は海流や大気循環に乗って全世界に拡散していきますし、その影響をモロに受けるのが日本列島です。出来れば中国の皆さんには環境への配慮ということをもっともっと真剣に考えていただきたい。

 しかしながら、じゃあ経済力や軍事力を背景にした恫喝が効く相手かといえば、そんなわけがありません。日本の戦力は外部からの侵略撃退に特化してデザインされていますし、日本の資本や技術は魅力でしょうが、中国に投資したいという国は今いくらでもある。どうすれば良いのか? 柔らかい権力の出番ではないのか?

 すなわち、例えば海人丸という活動を中国に対して発信する際に、環境について配慮することが中国にとっても日本にとっても得になる話だというメッセージを添えるわけです。それを、日本の航海カヌー・プロジェクトの魅力を示す、それに接した中国の人々が自然に協力したくなるような語り方で語るという形でやる。荒木さんと海人丸のグループの方々にそれをやる能力が現状であるかどうか、私にはまだよくわかりませんけれども、期待は持っていて良いと思います。まだ時間もあるしね。