誤解を招くようなタイトルをつけておりますが、これは縄文時代の丸木舟ではありません。念のため。
かつて大西琢也さんという方が中心となって、丸木舟を造って、下田から神津島まで渡ろうという試みがあったんですよ。私も最近になって知ったのですが。
大西さんのウェブログはこちら。
http://yajin.jugem.jp/
http://kurashi.ugaku.com
神津島で縄文で丸木舟でということになれば、当然思い浮かぶのは、かつてリアル縄文人たちがこの島で採掘して関東全域に流通させていた黒曜石ということになりますが、大西さんもやはりそこからインスピレーションを受けてこのプロジェクトを開始されたようです。
プロジェクトが始まったのが1997年末。船体は全長7メートルの丸太から削りだしたそうで、構造的には、当初はダブル・アウトリガー・カヌーの形式を用いていました。しかし、これは後にダブル・カヌー構造に変更され(大胆な変更ですな)、1999年にはいよいよ南伊豆から最初の実験航海に出ました。画像を見る限りでは小さな帆も装備しているようですが、基本はパドリングによる推進みたいですね。
http://www.ayu.ne.jp/comichan/jumondigest1.htm
ところがこの実験航海は予想外の結末を迎えます。海難事故と勘違いした人が海上保安庁に通報してしまい、巡視艇に救助というか拿捕というか、ともかく航海は中止になってしまったのです。船もこの時に破損。使えなくなってしまいました。
http://www.ayu.ne.jp/comichan/jumondigest2.htm
画像を見る限りでは伴走船を付けていなかったようにも見えます。伴走船が付いていれば海上保安庁に絡まれることも無かったのではないかという推測も成り立ちますが、この画像だけでは何とも言えませんね。
そんなわけで最初の船は失われたのですが、99年の年末には、今度は全長20メートルというモミの木の大木をゲット。
http://www.ayu.ne.jp/comichan/joumon.htm
さてその後この船がどうなったかというと、実は良く分からないのですが・・・・・。大西さんは現在もこの夢を諦めていないようです。
先日、湘南アウトリガー・カヌー・クラブ江ノ島でパドリング体験をさせていただいた時に、現代のアウトリガー・カヌーでも伊豆諸島まで行って帰ってきた奴はまだ居ないと窺ったのですが、モロカイ・ホエを漕ぎきっているチームは日本にも既に存在しているわけですから、丸木舟の類が本州島から伊豆諸島までの航海を成功させるのも、さほど遠くない未来のことでしょうね。