海の日本・山の日本(続き)

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 さて、続きです。この頃、陸=日本列島にいたのは、イザナギ・イザナミ系の神々とは別の系統の神々、国つ神たちでした。高天原から追い出されたスサノオは出雲で国つ神の一人オオヤマツミの娘クシナタヒメをヤマタノオロチから救い、これを妻とします。海を治める者だったはずのスサノオは日本列島そのものを治める神々と交わり、その主となったのです。そして後にスサノオの血統からオオクニヌシが出ます。オオクニヌシはもともとオオナムジといって、八十柱もの神々の末弟でしたが、兄弟との死闘*1の結果、日本の国を継承してオオクニヌシとなります*2。オオクニヌシは海から船に乗ってやってきたスクナビコナ神に国造りについて相談し、スクナビコナ神はオオクニヌシに協力する代わりに自分を祀ってくれと頼むというようなエピソードもあります。

 その後、日本はオオクニヌシが治めていたのですが、アマテラスはある時、日本を治めるのは自分の子孫であるべきだと考え、オオクニヌシに様々な使いを送り、ついにタケミカヅチ神がオオクニヌシから国を譲って貰う事に成功しました。オオクニヌシは出雲大社に隠居させられてしまいます。さて、アマテラスは孫のニニギノミコトに命じて日本を治めさせることにしました。ニニギノミコトはサルタヒコやアメノウズメを従えて高千穂峰に降ります*3。天孫降臨です。

 そこでニニギノミコトが出会ったのが、またしてもオオヤマツミ神(スサノオにクシナタヒメを嫁がせた最古参の国つ神)でした。ニニギノミコトはオオヤマツミの娘コノハナサクヤヒメにホデリノミコト、ホスセリノミコト、ホオリノミコトの三柱の神々を産ませます。長兄のホデリは海幸彦。末弟のホオリは山幸彦と呼ばれます。ご存じのように山幸彦は海幸彦の釣り針を無くしてしまうのですが、これを探しに行った先でワダツミ神族(イザナギがアマテラスやスサノオを産む直前に産んだ海の神とその眷属)の協力を得て、塩盈珠と塩乾珠を使って海幸彦を従えてしまいます。

 こうしてニニギノミコトの跡を継いだホオリ(=山幸彦)がワダツミ神の娘トヨタマヒメともうけた子供の子孫から出たのがカムヤマトイワレヒコ、つまり神武天皇になります。

 これを纏めると、

・海から来て土着神を従え日本を治めた神の子孫は、最終的には天から来たより上位の系統の神に国を譲った。
・天つ神の血統の神の子孫のうち、陸を根拠とするものが、海神との結びつきによって海を根拠とするものを従え、また陸を根拠とするものと海神の血統が交わって産まれたのが神武天皇である。

 ということになります。海は権力を握る上で重要な役割を果たしていると同時に、海そのものはついに権力の中心にならないのです。日本の国土を治める正統な権力はイザナギ、アマテラス、ニニギノミコト、ホオリノミコト、カムヤマトイワレヒコと継承され、現在でもこの国の象徴とされる一族へと連なっています。記紀神話では、天を治める系統の神々が海を治める系統の神々の力を従えていきます。つまり、海の力を手に入れることは日本の支配に欠かせないのですが、海そのものは日本を支配しない*4。記紀神話の宇宙論はこのような構造をしています。

 これは何を意味しているのでしょうか。記紀神話を書いた人々は、海の人々の強大な力を認めつつ、それは日本の中心ではないと感じていたのかもしれません。これを陸の縄文人と海の縄文人という二元論、あるいは海洋民であった縄文人と農耕民であった弥生人というような二項対立図式に直ちに結びつけることは出来ないでしょうが、古代日本列島の宇宙論に海という項目が欠かせない事は確かなのでしょう。今、わたしたちは世界の成り立ちについてあまり海を勘定に入れませんが(天・地・人とか言うでしょう?)、もしかしたら彼らは天、地、海という三元論で世界を理解していたのかもしれません。今売りの「TARZAN」の「いざ、カマ・ク・ラ」で内田正洋さんが「海への敬意を取り戻さないといけない」と警告しておられますが、たしかに私達は、海のことを忘れて暮らしている時間帯が多いかもしれません。

 さて、今、日本のメジャーどころですと、天つ神を祀る神社(伊勢神宮や霧島神宮、鹿島神宮、春日大社など)、国つ神を祀る神社(出雲大社、金刀比羅宮、大山祇神社など)、あるいは土地そのものを祀る神社(富士浅間神社、上賀茂神社、下鴨神社など)、実在の人物を祀る神社(明治神宮、北野天満宮、豊国神社、東照宮など)が数多くあります。一方で海の神々を祀る神社って少ないですよね。宗像大社(宗像三女神)、穂高神社(ワダツミ神)、住吉大社(ツツノオ神)とかそれくらいでしょうか。でも、私達の身の回りには地元の海と結びついた小さな神社があるかもしれません。神社が置かれた場所や縁起由来を調べてみる事で、地元の海を昔の人々がどう捉え、どう感じていたのかが想像できるかもしれないですね*5。そこから再び海へと私達の意識が開かれていくこともあるでしょう。

 このようなお話に興味を持たれた方は後藤明さんの『南島の神話』や秋道智弥編『海人の世界』収録の大林太良さんの論文「海と王権」を読んでみて下さい。

*1 この死闘の幕開けになるのが因幡の白兎のエピソード(隠岐から本州へと渡る際にワニを騙したので、仕返しに丸裸にされ、さらにオオクニヌシの兄神たちには「海水に浸かって甲羅干しをしたら治る」と騙されていたところ、オオナムジが「真水で体を洗ってガマの穂にくるまれ」と教えてやった)です。
*2 この後に娶った神の中には宗像三女神の長女もいます。
*3 この直後にサルタヒコとアメノウズメが海の生き物を従える話もあります。
*4 これとは逆なのが、メロヴィング朝フランク王国ですね。メロヴィング家の祖先は「海から来た」という伝説があり、これをラングドック地方の「マグダラのマリアはキリストの死後ラングドックに帰って来た」という伝説に結びつけて、「マグダラのマリアはキリストの子供を身籠もり、海路ラングドックに戻ってこれを育てた。この血統から出たのがメロヴィング家である。」という説が生まれました。この説はレンヌ・ル=シャトー事件と絡まって非常に注目され、BBCによるドキュメンタリー番組や映画「最後の誘惑」、ミステリー小説「ダ・ヴィンチ・コード」などが制作されました。また後藤明さんの研究を引き合いに出すまでもなく、ポリネシアにおいて人は「海から来る」ものです。マオリの「大艦隊」、ハワイのハヴァイロア伝説などなど。
*5 ラングドック地方にはサント・マリー・ド・ラ・メールという大変に有名な巡礼地があります。マグダラのマリアが船に乗ってここに辿り着いたという伝説の地で、大祭ではマリア像が海へと持ち出され、再び上陸します。こうして古代の記憶が受け継がれていきます。同じように海から来た神様ですと、鎌倉の長谷寺の観音も有名ですし、茨城県の金砂神社の磯出祭礼(72年に1度、金砂の神が上陸したという磯まで3日がかりで御輿が出向く)も有名ですね。