以前私は、本体ウェブサイトのコラム9において、ナイノアさんが子供の頃に海についての色はを教わったというカワノ・ヨシオさんについて、山口県にある周防大島の属島である沖家室島(おきかむろじま)から移民した1世あるいは2世ではないのかという推測を披露しました。
沖家室島からハワイへは、大量の漁師が出稼ぎや移民に行っており、森本孝さんの研究では、その殆どがハワイにおいても漁業を営んでいたのだそうです。
一方、ナイノアさんが子供の頃に船に乗せてもらっていたという日系の漁師、カワノ・ヨシオさんですが、毎朝ナイノアさんを連れて海に出て漁をしていたとのことです。ナイノアさんは、次のように回想しておられます。
「私自身に関しても、日本から多大な恩恵を受けています。私事ですが、小さい頃私に海を教えてくれたのは、日系2世のヨシという人です。本名はカワノヨシオさん。初めてカヌーに乗せてくれたのもヨシです。
彼は私の家がある谷あいの村に住んでいました。祖父が経営していた酪農場で働いており、夜の10時から朝の8時まで、牛乳配達をしていました。毎朝仕事が終わると、彼は幼い私を連れて海へ出かけます。私はヨシに海との接し方と、海で生きる術を教わりました。」
「ヨシの海の先生は、村では有名な漁師だったといいます。日系の方だったのでしょう。つまり私には、日本の漁師さんたちが持っている、海との接し方が受け継がれたことになるのかもしれません。ヨシは自分が受けたように、そして私に伝えたように、次世代の子供たちに海で生きる術を教えられるよう私を育ててくれたのだと、今振り返るとわかります。」ナイノア・トンプソン「海上の道を探して」『Coyote』No.3、SwitchPublishing、2004年、63-65ページ。
さてさて。最近、偶然また沖家室に関する文章を見かけました。やはり森本孝さんのお書きになった文章ですが、その中にこんな記述があります。沖家室島の漁師の育て方についての文章です。
「小学校をでたての子供の漁業教育は、出稼ぎ漁を引退した年寄りの漁師が引きうけた。子供を舵子(船の櫓を漕ぐ役)として雇い、島の周囲や波の穏やかな東瀬戸内海で漁を行いつつ、技術の伝授を行う。これはお互いにとって都合が良かった。体力の衰えた漁師でも、助手がいることで収入を得ることができ、子供の側でも漁の経験が積めたからである。」森本孝「一本釣り漁村の景観」『AERA-MOOK:地理学がわかる』、1999年、93ページ。
いかがでしょうか。ナイノアさんとカワノ・ヨシオさんの関係を彷彿とさせませんか?
ちなみに、沖家室の漁法は伝統的に一本釣りでした。これは、みちいと一本でタイやメバルを狙う方法で、とりあえず小舟とみちいととオモリと針があれば一人でも出来るのがウリなんだそうです。戦前に海外進出した日本の漁師には他に沖縄の糸満の漁師集団がいますが、こちらは網を張ってみんなでそこに追い込む追い込み漁ですから、カワノ・ヨシオさんの漁法とは全く違います。それに糸満系の漁師はミクロネシアを主戦場にしておりました。
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Okikamuro is a small out-island of Suoh-Oshima, Yamaguchi Pref. Suoh-Ohshima sent to Hawai'I huge number of immigrants. Today, Museum of Japanese Emigration to Hawaii stands there. Of course, Okikamuro sent to Hawai'i a large number of immigrants too.
This is a paper about Okikamuro wrote by an ethnologist Takashi Morimoto.
And here I quote….
"Among Okikamurojima Island immigrants on all Hawaiian Island, there were
only three engaged in agriculture, and the rest were all engaged in
commercial, industrial fishery and marine product industries. "
As long as I know, There were two large groups of fishermen from Japan to Hawai'i.
One from Okikamuro. Another one from Itoman of Okinawa. Okikamuro Fisherman uses IPPON-ZURI technique. It uses only one line to catch fishes. IPPON means single line. ZURI means fishing. So Okikamuro Fisherman can do his job even by himself. Whereas Itoman Fisherman uses OIKOMI technique. It uses fishnet and some threater. Some guys jump into the sea and threaten fishes into their fishnet.
So I think Yoshio Kawano, Mr. Nainoa's child-day friend and a Fisherman from Japan,uses Okimakuro's technique. Maybe he or his father came from Okikamuro.
Few monthes before, I told Okikamuro people that a Hawaiian Voyaging Canoe will come to Japan soon and its master navigator learns boat-riding from Japanese fisherman, maybe from Okikamuro.
Please consider visiting Okikamuro when Hokule'a go Japan.
Mahalo.