強烈なシーカヤックのエクスペディションの記録を読みましたよ。
ジョン・ターク(2005)『縄文人は太平洋を渡ったか:カヤック3000マイル航海記』森夏樹訳・青土社
原題はIn the wake of Jomon。「縄文の航跡を追って」という意味ですね。
著者は冒険家としてこれまでに数々のエクスペディションを実行してきた人物です。シーカヤックのエクスペディションとしては南米先端のホーン岬一周などもしているようですね。理学の博士号も持っているそうです。ただ、学位取得後は即、学問の道を捨てて冒険家になったらしいですが。
これが著者のウェブサイト。
http://www.jonturk.net/
そもそもの発端は、1996年にワシントン州ケネウィックで発掘された古人骨「ケネウィック人」でした。この骨は、当初は「コーカソイドらしい」と発表され、次に「縄文人に似ているかもしれない」とされました(結論は出ていないようです)。そして、ともかくの科学的調査の結果、彼が死んだのは今から8400年前とされ、完全な古人骨としては南北アメリカでも最も古いものと判明したのです。
この「ケネウィック人」は現在、その所有権を主張するアメリカ・インディアンたちと、この古人骨はアメリカ・インディアンたちとは別系統の民族なので学術上の資料として保存されるべきだというワシントン州立博物館との間で、法廷闘争が続いているようです。つまり、ハワイでビショップ博物館の収蔵品を先住ハワイアン団体に次々と流出させた、あの法律が争点になっているわけですね。
http://www.washington.edu/burkemuseum/kman/virtualexhibit_intro.htm
さて。そういった闘争はさておき、著者ジョン・タークはこの「ケネウィック人」を、日本列島からはるばる渡ってきた縄文人あるいはその末裔だと考えました。そして、彼らが北米大陸に渡ったルートは千島列島からカムチャツカ半島、アラスカの海沿いの航路だったと推測したのです。わかりますか。航路。舟で渡ったと彼は考えた。さしたる根拠は無いようですが。
それで彼は計画を立てました。自分も北海道からアラスカまで小舟で渡ってみよう。そうやって、縄文人が何故に安全で豊かな日本列島を捨てて、過酷な北の海に漕ぎ出したのかを想像してみようと。彼は1999年の夏、この計画を実行に移します。ダブル・アウトリガーと帆を装備したシーカヤックで、根室から千島列島へと船出したのです。
結局彼は、1年目の夏はカムチャツカ半島まで到達したところで旅を中断し、翌年に今度は通常のシーカヤックに乗り換えて(最後に悪天候の為、ロシア海軍のボートで数十キロを曳航されましたが)、アラスカの離島まで漕ぎ渡ります。この本は、その冒険行の記録ということになります。
その悲惨な道中は実際に本を読んでいただくとして(特に前半はまったく未知の海域を、伴走船無し、ギブアップの手段無し、予備の食料無しで突っ切るという、無事に帰れたのが奇跡みたいな無茶な挑戦でした)、著者が道中、常に問い続けていたのは、「何で縄文人はこんな厳しい自然の中を移動していったのか」という問いでした。普通ならば「戦争や飢餓や人口増加による移動」を考えるのですが、当時の日本列島にはまだまだ人が増える余地はありましたし、戦争から逃れるというのなら千島列島を一つ二つ辿れば、もう余程の偏執狂でなければ追撃して来ないような厳しい自然環境です。
どう考えても合理的な理由は見あたらない。にも関わらず、何故に彼らは東へ東へと旅を続けたのか。
著者の結論はこうです。そういう無茶をすることが本能のうちに組み込まれているのが人間なのであり、それこそが人間を他の動物から分けるものなのだと。すなわち、安定した生活を営むということに満足できない非合理的な情動を人間はその内部に抱え込んでいるからこそ、果てしなく科学技術を発展させ、また世界の隅々にまで広がったということです。未知の領域があればそこに突っ込んでみないと気が済まない馬鹿を、人類は定期的に生み出してきたのだと。そういう馬鹿の縄文人の一団が、丸木舟に乗って千島列島を漕ぎ渡り、北米まで行ってしまったんじゃないのかと。
後藤明さんも、ポリネシア人の飽くなき航海への衝動を、合理的な理由を越えた宗教的な情熱の故ではなかったかと繰り返し論じておられますね。船出せずにおられない。私はどちらかというと知的探求に燃えるタイプですが、目指す領域がフィジカルな世界かアカデミックな世界かという違いはあるにせよ、生存への合理的な選択をしていたら絶対にやらないような人生を選んでしまったという点で、古代の航海者たちに共感するものはあります。
そうそう、著者はこのエクスペディションに際してリモート・オセアニアの航海カヌー文化についても多少は調べたようで、デヴィッド・ルイスやスティーブ・トーマスの著作への言及が結構多く見られますね。マウ・ピアイルグの名前も出てきますよ。