稲城五中の標準服についての覚書

息子が、稲城五中に進学しても自分は「制服」は着ないことにしたと言いました。
中学の制服がダサい問題については小学校3年か4年の頃から気にしていたので、熟慮に熟慮を重ねた判断ということで、私は尊重します。個人が何を着るかは日本国民においては、日本国憲法の13条「幸福追求の権利」において規定されていて、何しろ憲法ですからこれは相当強い権利です。
第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
一方で日本各地には、特に地方において公立校でも髪型の丸刈り強制であるとか、「制服」(法律的には強制の根拠を持たないので、標準服と呼ばれることも)が今も残っています。
これについては「制服がある方が安上がり」とか「3年間くらい我慢しとけばいいじゃないか」とか「可愛い制服が着たい」とか「自分は我慢した」とか論点が明後日の方法に拡散しがちで、それぞれ着たければ着れば良いだろうとしか思わないし、お前の思い出話なんか聞いてねえよというところなので、ここでは論点を
個人が何を着たいと思い、実際に何を着て人生のかけがえのない3年間を過ごすのか
という一点のみに絞ります。繰り返しますが制服着たければ着なさい。私はイイと思う。他人に強制しない限り。あれ売って生計立ててる人も居るんだし、着たけりゃどんどん着ろよ。
で、話を戻すと、それを着たくないと思った時どうなるのか。
法律的には実はこれ、わりとシンプルな話なんです。
まず、義務教育の公立中学校は法律的には、明確に「制服」を強制することが出来ません。なにしろ最上位の憲法がダメと言っているものなので、下位の法律や条例でそれに反することを規定するということが出来ないんです。
実際、教育基本法にも学校教育法にも制服の強制力を担保するような文言はありません。逆ならあるぞ。教育基本法4条

第四条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。

法律の専門家集団である東京弁護士会の見解も以下のようになっています。

A.2 公立中学校の「制服」というのは、後に述べるように標準服にすぎないので着たくなければ着なくてもいいです。

あなたには、どんな洋服を着て今日1日をすごすかを決める権利があります。それぞれが好みで着るものを選ぶことができます。ただ、いつどのような場所でどのようなものを着ているかということは、あなたに対する評価の1つにもなりますから、よく考えて選ぶ必要があるでしょう。
中学校は集団で授業を受けたり、生活をする場所です。ですから洋服から音がするとか、洋服が光る等他人の迷惑になるような服装はしない方がよいでしょう。しかし、そういうことがないのに特定の服を着なければならないということはありません。単に着たくないという理由で着ないこともできます。まして「制服」でないから授業を受けさせないとか、修学旅行に参加させない等の差別することは許されません。
ところで、公立中学校では一応の標準的な服装として「標準服」を定めている学校が多くあります。むしろ制服というより、この標準服を定めている学校がほとんどです。これを「制服」と思い違いしている人はいないでしょうか。この標準服は、もともと標準的な服装にすぎないのですから、これを着るかどうかはあなたの自由です。そしてこのことは「制服」だけでなく、靴下やリボンや下着についても同じです。他人の迷惑にならない限り、自由にしてよいのです。

もちろん、裁判で制服や髪型の強制の是非が争われた事例もいくつもあるのですが、これは面白いことにほとんどの裁判では簡単に言えば「法律を根拠に強制しているわけじゃないんだから、裁判所に持ってこられても知りません。当事者同士で解決してくれ」というスタンス。そうなるとまあ、普通はその学校に通い続けようとするならば泣き寝入りして受け入れるということになります。
ただ、更に面白いのは、少なくとも公立の小中学校においては停学・退学という処分が法律で禁止されている(学校教育法施行規則26条)ので、制服を着ない生徒が学校に来ることそのものを拒むことは出来ません。また、学校教育法11条で体罰も禁止されているので、無理やり標準服に着替えさせるということも違法行為となる。
つまり、公立中学校においては制服は
「学校は、それを拒否する生徒にその意志に反してそれを着させることは、法律上出来ない(学校に来るなと言えないし、力づくで着替えさせることも出来ない)」
「生徒は、学校が校則やら生徒心得やらで定めている制服着用というルールの違法性を裁判において認めさせることも難しい(グレーゾーンで行われていることなので、裁判所もこれは良いとかこれはダメだとか言いづらい)」
という、こういうのを千日手というのでしょうか。お互い決定的な攻め手を欠く状態です。ただ、現在の日本では高校受験の際に中学校からの調査書というのが合否判定の一定部分に影響するので、いわゆる名門校に入りたいという人は、制服を着ないなんて選択はあり得ないわけです。
調査書というのはこういうもの。
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出典
ただ、当家は一族のほとんどが教員と研究者と医者とエンジニアというところでして、現場の裏情報も潤沢に持っております。
まず、特定の教員に嫌われたら内申点が下がるという噂ですが、複数の信頼できる情報源から得られた情報では、通常はそこまではしないし、あったとしても1教科が1段階ダウングレードされる程度である。
また、行動の記録とか総合所見といった欄に生徒の悪口を書くことは現在は100%無いそうです。理由は簡単で、公文書開示請求をされて調査書の中身を見られた時に悪口が書かれていたら訴訟不可避だから、です。
上記のような理由から、入試倍率が高い、大人気名門高校に行く気が無いのであれば、別に調査書なんか気にしなくて良いと私は考えています。子供の数も減っていますからね。もちろん、中学で制服着たくない人が制服のある高校に行きたがるとも思わないのですが、都立高校には制服の無い高校は多いし、通信制だって別に良いわけだしねえ。
余談ですが元ゼミ生で稲城五中出身者がおりまして、彼は中学校の宿題を一度も提出しなかったと自慢しておりました。それで立教の社会学部入ってるんだから、稲城五中の調査書なんかなんにも怖くないよなあとは思う。
さて、冒頭の話題に戻り、今後の息子の服はどうなって行くのか?
稲城五中の標準服の扱いも私はよく知らないのですが、着用自由という公立中学校も東京には多いので、その手のところであれば何の問題も無いでしょう。
標準服を着なかった前例が無いという場合は
「標準服を着ないという選択の取り扱いについて明確化して下さい」
と紳士的にお願いすることになります。
前述のように停学と退学と着用強制は法律上不可能なので、例えば調査書にその旨を書くだけです、だったらどうぞご自由に、だし、それ以外に何かご要望(校外行事や式典の時だけは着てくれ、など)があれば都度判断。登校はOKだけど授業は受けさせないみたいな面白対応ならまあ無理に行く必要も無いし。
中学の指導要領見てみましたけど、英語と社会は私が楽勝で教えられるし、国語も同様(父ちゃんは現代日本語について小学校から高校まで教科書を使った勉強を一度もしたことが無いまま博士号取得まで行きました。英語は元プロ翻訳家で、大学の教え子たちにも個別指導で構文解析とか教えてたほどです。そして史学科卒)。数学もいける。理科は息子は既に中学卒業までの内容は勝手に勉強して身につけています。音楽? 父ちゃんは金沢大学大学院教育学研究科音楽教育専攻修士課程卒だったりする。
なお、日本のおじさんおばさんアルアルな丸め込みとして「その校則がイヤなら校則を変えるように動いてみろ」というのがありますが、そもそも自動的にアサインされた地域の公立校に法律上グレーゾーンかつ罰則の無い校則があったとして、それを変えるまでは従わなければいけないという理屈は詭弁です。むしろグレーゾーンルールは法律に照らして白黒付くまでは誰も守る必要が無いんじゃねーの? 日本は法治国家なんですから。自分でわざわざ受験して入った学校なら別ですよ。そこで入ってみてからこの学校のここを変えたいと思えば、そのように活動するのはスジが通っている。法学でいう在学契約論ですね。入る前に校則を確認する機会があった上で自分から入りたいって言って入ったんでしょという。
しかしながら、義務教育で自動的に割り振られた学校で、そこまでして差し上げる義理も義務も無いと私は思います。もちろん校則自体を変えることも面白そうだと思うならば、やれば良い。ですが、校則を変えない限りはグレーゾーン校則や違憲校則でも従えというのは、卑怯な論点のすり替え。バカは黙れ。だいたい他人の服のことなんかどうなろうと知らねーよ。なんだその給食は手分けして残さず食いましょうみたいな発想は全体主義国家じゃあるまいし。各自がown riskで好きなもの着たら良いだろ。
ま、たかが中学のたかが制服ごときで裁判だなんだというのも時間とカネのムダですから、話し合って合意形成が出来ればそれで良し、合意形成が出来なければお互い関わらないように棲み分けるのがスマートですね。
3年間くらい我慢しろ、みたいなのはホント良くないんですよ。
なんでかって、実際に私の可愛い教え子たちが、人権無視のクソ企業でハラスメントされて、周囲からも「3年くらい我慢してみろ」と言われて精神疾患発症しちゃったなんてのがかなりあるから。
親に相談したら親に「我慢しろ」って言われて逃げ場を失ったとか、普通よ普通。最後に私のとこに来て「そりゃ会社はクソだし親も間違ってる。今すぐ退職届書かないとおまえ生命に関わるよ」って言われて目が覚めるなんての、1件や2件じゃないから。
「組織の都合のために人権を我慢する/させる」という思想はダメなの。
以上、メモ代わりに。