以前、OCCJの帆漕サバニイベントについて「何故ダブルカヌー風サバニにするのかよくわからない」と書きました。今でもその「よくわからなさ」はあまり変わっていませんが、少なくとも沖縄にはサバニをダブルカヌー風にして使う伝統があったようです。
後藤明さんの『海を渡ったモンゴロイド』の173ページに出てくるのですが、沖縄には「平安座船(ひあんじゃ)」と呼ばれる、サバニを複数横並べにしてその上に板を敷き、重量物の運搬に使う方法がある(あった)とのことで、後藤さんもこれをポリネシアのダブルカヌーとの関わりがあるのか無いのか、真面目に調べてみるべきだと書かれています(関係があるといきなり断言しているわけではないし、関係があるに違いないとも書いていないですが)。
ちょっと検索したら、こんな資料も見つかりました。
仲原弘哲/石野裕子「山原の港」『なきじん研究』Vol.9、今帰仁村歴史文化センター紀要、1999年 定価 \1,500
「山原の港(津)をテーマに、沖縄県史や市町村史、そして山原の字誌から港や山原船にかかわる部分を抜粋しまとめた物。恩納村、名護市、辺野古、本部町、今帰仁村、大宜味村、国頭村、東村、宜野座村、金武町、与那原などの各地域の港の概要、海上交通、就航する船のほか、平安座船についての調査資料も掲載。」
へええ。面白そうじゃないですか。取り寄せてみようっと。
この情報でいきなり盛り上がってしまわない為に、ちょっと冷や水も被っておきましょう。
生物学には「相近」という概念があるそうです。全く別の種なのに、非常に似た器官を備えて、非常に似た使い方をしているという現象のことです。例えば、鯨やイルカと魚は魚類と哺乳類なんで全然系統は違うのに、体の形や器官、泳ぎ方はずいぶん似ています。これは水の中で泳ぎ続けるという生活形態が共通している事から、彼らは別々に考えたけれども同じ結論を出したのだと言う事が出来ます。
これと同じように、船を並べるというアイデアも、船で沢山のモノを運ぶという目的に対して、割とストレートに出てくる発想のような気もします。別の例ですが、例えばアラスカ先住民の用いるカヤックと、北ヨーロッパの伝統的な革張り船などは、水上移動という目的と獣の死体という素材があったらまさに相近的に出てくるものではないでしょうか(北ヨーロッパの伝統的革張り船の源流は青銅器時代のスカンジナビアまで辿れるそうですが、果たして北米先住民と共通の技術的ルーツがあったのかというと、どうなんでしょうね)。
現在の学説では、ダブルカヌーは筏から直接発達したという考え方と、東南アジア島嶼部のダブル・アウトリガー・カヌーから発達した(外洋航行能力を高めた)シングル・アウトリガー・カヌーが、さらにラピタ人によって航続距離を高める為にダブルカヌーに改良された(アウトリガーの先の浮き具が船体に置換された)という説があるようです。後者の説に従えば、ダブルカヌーとは洋上での安定性を確保するための形状というのが根本にあり、その次に積載量の増加という目的が来ていますけれども、平安座船は(おそらく)積載量の問題が最初にあったように思えますので、進化の系統としては少なくともオセアニアのダブルカヌー発達史に組み込むのは難しいのではないかと予想します。
画像はヨーロッパの西の果て、アラン諸島のイニシモア島です。かつてこの島の漁師は木組みの骨格に獣皮を張った小舟クラアcurraghに乗って鯨漁をしたと言います。ただし有名なアラン・セーターのパターンが「遭難時の遺体確認用」というのは俗説で、アラン・セーターが有名になってからまことしやかに囁かれるようになったのだそうです。