『日本人の起源:古人骨からルーツを探る』

本の紹介です。
中橋孝博『日本人の起源:古人骨からルーツを探る』講談社選書メチエ2005年

 主に人骨の形質に注目して、日本列島に住む人々のうちアイヌ、琉球人、一般的日本人の3グループの成り立ちを検討した本です。今年出たばっかり。

 さて内容ですが、さすがに九州大の人類学教室の先生だけあって幅広い研究を見渡しつつ、「今のところこれくらいはなんとか言えるかもしれない」という最大公約数を示しています。しかし、現時点でもこのテーマは依然として資料不足であり、この本の内容を本当に一言で表すなら、こうなります。

「材料不足で殆どわからない。」

 冗談じゃないっすよ。
 例えば縄文人の骨はいっぱい出ていますけれども、旧石器時代の人骨であることがほぼ確定なのは浜北人骨(東海地方)と、例の港川人骨の二種類だけ。しかも浜北人骨は非常に小さい断片なので、形質(各部のバランスやサイズ)は調べようがないという、なんともお寒い状況のようです。加えて問題なのが、縄文人というグループが身体の形状の面でかなり独特の特徴を持つ、ユーラシアから出る骨とはかなりかけ離れた人々だってことです。縄文人の前に列島に住んでいた人々について良くわからない上に、縄文人は周辺の地域から出る人骨とはえらく離れており、さらにはその後の弥生人以降、我々現代人に至る人々ともかなり違うとなると、縄文人はどこから来て、どこへ行ったのかよくわからない。

 いや、今のところの研究状況からも、ある程度のことは言えるようなんです。つまり、形質的にはアイヌと琉球人が、わりと縄文人に近いと。しかしアイヌや琉球人がどうやって出現したかとなると、これも同じようによくわからんわけで、まあたぶん縄文人の遺伝的特徴がこれらの地域により濃く残ったんじゃないのかな、くらいらしいです。

 さらに弥生人はどこから来たのかとなると、朝鮮半島も江南あたりも古人骨そのものが殆ど収集されておらず、主にどっちから来たのか、あるいはどちらからも来たのかがはっきりわからない。そして、弥生人はどうやって縄文人と入れ替わっていったのか。たぶん、弥生人の人口増加率が縄文人を遙かに上回っていたので、何百年かのうちに弥生人の数が圧倒して、縄文人はその集団に吸収されてしまったらしい。でもはっきりしたことはわからない。

 わからない。わからない。わからない。そんな話ばっかりなんです。

 ところで、私はこの本を読んでいて、この「わからない」の連打に深い感銘を受けました。わからんものはわからんと素直に言う。ある点(頭骨の長さとか耳垢だとか遺伝子のハプロタイプだとか)にだけ注目すれば、一つの絵は描ける。しかしそれらの絵を重ね合わせてみると、どうにも一つの話が書けない。わからない。わからないんだから、はっきり言えるのは「よくわからない」という事だけです。

 「わからない」と言うのは大事なことです。少なくとも自分に何がわかっていて何がわかっていないのかは見えている。

 ところが、日本人のルーツという話になると、この「わからなさ」にきちんと向き合うことをしないで、乏しい証拠だけをつなぎ合わせて壮大な話を考えようとする人も多いですな。そういう本はいっぱいある。『ズニ族の謎』も片足踏み抜いている気配がありますが、まあ可愛いもんです。その先には「わかった!」だけで突っ走った兵どもの夢の痕が掃いて捨てるほど落ちているんだから。

 ともかく、ポリネシアから航海カヌーが日本列島にやって来た日にも、きっと日本人のルーツは「わからない」ままでしょう。でも、それはそれで良いんじゃないかと思います。だってエスニック・グループのアイデンティティって別にルーツだけじゃないですからね。私はある時、トルコから来ていた留学生に質問してみたことがあります。

「トルコ人は中央アジアを民族のルーツとして見ているの?」

 彼の答えは簡潔でした。自分たちの祖国はアナトリアであると。歴史を遡ればたしかに中央アジアに居たこともあった。しかしそれは、それだけの話だ。自分たちが愛しているのは今の自分たちの居場所なのだと。

 よく考えてみればポリネシアの人々だってそうじゃないですか。ポリネシア航海協会の活動目的はハワイという土地をより良い場所にしていくこと。マオリの人々はハヴァイキを探すのではなく、やはりアオテアロアのマオリの生活をより良いものにしていくために活動している。彼らがアイデンティファイしているのは航海カヌーというツールであり、ニア・オセアニアから船出して太平洋を制覇したルートであって、スンダランドだかサフルランドだかのルーツではない。そしてそれらのツールやルートは彼らの今現在の居場所を彼らが獲得したということの何よりの証拠として輝きを放っているように思います。

 ですから、私たちも(「よくわからない」)ルーツ、だけではなくツールやルート、そしてその結果としてある私たちの居場所について、ポリネシアからの船に向かって語れるようにしておいた方が良いのではないでしょうか。

 そのツールやルートが何かというのは、また別の機会に。みなさんも少し考えてみて下さい。

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