昨年、ホクレアに熊本から福岡まで搭乗されたデューク・カネコ氏が、新たに「OC-6で小笠原父島まで行く」というプロジェクトを開始されました。
このプロジェクトを始めるに至った経緯や、デューク・カネコ氏の来歴がとても丁寧に語られています。プロジェクトはかなりしっかりした構想のもとに立案されているようですので、きっと成功すると思います。
問題は、どのようなプロモーションを行うか、ではないでしょうか。もちろん協賛企業・個人の欄にはおなじみの名前が並んでいます。パタゴニア、テレビ神奈川、エイ出版、内田正洋さん、西村一広さん・・・・。去年のホクレアの日本航海を彷彿とさせるラインナップですから、そういうチャンネルでは活発に情報発信が行われるでしょう。ですが、ということは、このプロジェクトの情報やメッセージの到達範囲は、去年のホクレアの日本航海のそれとあまり変わらないということでもあります。しかも、同じチャンネルで同じようなコンセプトの情報発信を行うわけですから、メッセージを受け取る人も重複が多いということになるでしょう。
これは荒木さんの海人丸中国航海でも言えることですが、こうしたエクスペディションをいかに自己表象し、いかなるチャンネルでメッセージを発信するかという戦略は、お金集めやチーム作り、ロジスティックス構築などと同じくらいに重要、かつ難しい問題だと思います。とにかくマスメディアに大量に乗れば勝ち、というものではない。あれほどのネームバリューとカリスマを持つ中田英寿さんでさえ、現在の活動(彼は社会的起業を考えているとあちこちで発言しています)を安易にマスメディアに露出することはせず、慎重に戦略を立ててやっているように見えますが、とすればデューク氏や荒木さんは更に慎重かつ入念に戦略を立てなければいけない。
ここからは私個人の考えです。
こうしたエクスペディションそのものは、どれだけ大きいものでも、例えば関野吉晴さんの「グレートジャーニー」でも、言い方は悪いですが「一発もの」の企画であらざるをえない。しかもエクスペディションの内容が困難化すればするほど、そこに関われる人間は本来そういうことを仕事にしている専門家か、あるいはフリーライターやマスコミ関係者のような、そういうことに関わることが仕事になりうる人ばかりになっていってしまいます。
そうすると、結局は「冒険家が冒険をしてみせる」→「そうした冒険に関する情報・メッセージが消費される」という、流しそうめんのような商品一方通行の構造になってしまう。消費者は、一通り楽しんだら、また次のエクスペディション消費に向かうことになるでしょう。
それは、少なくとも私が好きな光景ではありません。ではどうすれば良いのか? 代替的なソリューションは一つではないと思います。私自身は、「プロジェクトは続いていかなければいけないし、開かれたものでなければならないし、コミュニティを豊かにするものでなければならない」と考えます。もう少し詳しく言うならば、
・エクスペディション完了をもって終了するプロジェクトよりは、その成果を保持し、エクスペディション完了後にプロジェクトにアクセスする人々が、エクスペディション完了前にプロジェクトにアクセスした人々と同等のベネフィットを得られる方が望ましい。
・プロジェクトにアクセスしてくる人々の間に、提供される情報の質・量の両面いずれにおいても格差をもうけない方が良い。
・プロジェクトが存在することが、一つ以上のコミュニティにとって利益になると同時に、そのプロジェクトが存在することで不利益を被るコミュニティが発生しないことが肝要である。
というようなことです。
こういった観点からも、流しそうめん型の消費物モデルは、あまり旨くないということが言えます。何故ならば、情報やメッセージが常に上流から下流に流れていくようなモデルで物事を進めると、「情報の流通」部分に関与して利得を得ようとする人が生まれやすいからです。「関係者」を自称する得体の知れない人たちが次々に現れて、流しそうめんの樋の中流域で暗躍するようになる。そうめんを掠め取ったり、勝手にそうめんに自分の好きな薬味を足して下流に流したり・・・・。場合によっては、そうめんを茹でている人に茹で加減の注文まで出すようになるかもしれません。
それよりは、みんなでそうめんを茹でて、みんなで一緒にそうめんを食べる方が良い。私はそう思っています。
荒木さんが今やっている、宮崎や熊本、沖縄のドブ板まわり活動が、そうした問題意識を持ったものなのかは、最近は荒木さんと話していないのでよくわかりませんが、何となく、何となくそういうことなのかなとは感じています。
デューク氏はどうなのか。きっと、デューク氏もそういう問題意識は持っておられると思いますし、デューク氏なりのソリューションもこれから見えてくると思います。大いに期待して見守っていきたいものです。